Kenichiro Egami – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org Thu, 07 Oct 2021 07:00:27 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.6.10 https://www.fivedme.org/wp/wp-content/uploads/2020/09/cropped-5dme-32x32.png Kenichiro Egami – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org 32 32 Charta77とチェコ・アンダーグランドカルチャーの地下水脈[江上賢一郎 -4-] https://www.fivedme.org/2018/07/15/charta77%e3%81%a8%e3%83%81%e3%82%a7%e3%82%b3%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e6%b0%b4/ Sat, 14 Jul 2018 18:36:12 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/15/charta77%e3%81%a8%e3%83%81%e3%82%a7%e3%82%b3%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e6%b0%b4/ Charta77とチェコ・アンダーグランドカルチャーの地下水脈
Charta77 & Czech Underground Cultural Movement during Communist Regime

江上賢一郎 Kenichiro Egami

「百塔の街」と呼ばれるチェコの美しき都、プラハ。この街を南北に流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋を渡り坂道を登っていくと、赤い屋根の続くプラハの街並みを一望できる王宮前広場に出る。ここにはチェコの政治を代々司ってきたプラハ城がそびえており、その一角に国立美術館(Salm Palace)がある。2018年2月にこの場所を訪れたとき、ふとあるバナーが目にとまった。それは十数名の男女のモノクロ集合写真の展覧会バナーで、「Charta Story & Charter 77 in pictures」というタイトルがついていた。内容は見当もつかなかったが、写真に写っている人びとの不敵な笑みに引き寄せられ美術館に入り、チケットを購入した。展示室に入ると、3つの部屋に古い手紙、モノクロ写真、絵画、手紙などが交互に並べられ、アーカイブとして展示されていた。入り口には「Charta77について」いう説明書きがチェコ語と英語で書かれていた。

「Charta Story」国立美術館のバナー(撮影:江上賢一郎)

「Charta Story」展覧会場(国立美術館 https://www.ngprague.cz/より)

「Charta77(憲章77)」とは、共産主義一党独裁下の1977年、当局によって逮捕、投獄された人々の釈放と人権の遵守を求めた声明文のことだ。後のチェコ共和国初代大統領となった劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルや、詩人のパヴェル・コホウトらが起草し、西ドイツの新聞に発表されたこの宣言は、厳しい社会的抑圧の続くプラハで生まれた市民的不服従の表明だった。憲章77に関わった人々の紹介とともに、その当時のチェコのアンダーグラウンドカルチャーの様子も展示されていた。

実際、「憲章77」が生まれた直接のきっかけは、その前年の76年春にチェコ当局がアンダーグランドで活動するミュージシャン、芸術家たちを逮捕・勾留したことだった。その年の2月、詩人で美術批評家のイヴァン・イロウス(Ivan Jirous)がプラハ郊外で結婚式を挙げた。この結婚式は当時、地下活動をしていたミュージシャンやアーティストたちが一堂に会するイベントでもあった。最も有名なのは、イヴァン自身がディレクターを務めていた「The Plastic People of the Universe」で、68年にベーシストのミラン・ラヴァサ(Milan Hlavsa)によって結成されたサイケデリック・ロックバンドだった。当時、西側の音楽は非合法であり、自由に演奏できる場所は皆無だったが、彼らは地下室、工場などの秘密の場所で演奏を行っていた。フランク・ザッパやベルベット・アンダーグランドに影響を受け、サイケな曲調に共産党やソビエトの全体主義に対するユーモラスかつ皮肉めいた歌詞を加えて、ヴァイオリンやサックス、そしてチェコの民族音楽のリズムを加えた実験的かつ演劇的な演奏を行っていた。

The Plastic People of the Universe (共産主義博物館 http://muzeumkomunismu.cz/cs/より)

イヴァン・イロウス(右から2人目、国立美術館HPより)

展覧会に展示されていたイヴァンの結婚式の写真は、結婚式という名前を借りた無許可フェスティバルの様相を呈していた。ミュージシャンたちは農家の納屋を会場がわりに自由に実験的な演奏をしたり、パフォーマンスを行った。イヴァンは前年に「A Report on the Third Czech Musical Revival」と呼ばれるチェコのアンダーグランドカルチャーについての覚書を地下出版で出している。そこでは、アンダーグランドであることの定義について、美的で創造的な生活の追求、全体主義社会への抵抗の意思、体制から押し付けられた文化の拒否などが簡潔明瞭に書かれており、この手刷りの冊子は当時の芸術家たちによって手渡しで読み継がれていった。彼はまた「druhá kultura(The Second Culture)」と呼ばれる野外のフェスティバルを開催するが、警察によって解散させられ、公序良俗を犯したとして結果的に逮捕されてしまう。

政治家でも、反体制活動家でもないミュージシャンたちを逮捕したことにショックを受けた人々は、彼らの釈放と人権の尊重を要求する「憲章77」を起草し、裁判所前につめかけた。厳しい検閲や圧力にもかかわらず、この声明には241人の知識人、芸術家、聖職者、運動家たちの署名が集まった。声明そのものは反体制というよりも、人権尊重を唱える穏やかなものだった。しかし、当局は署名に加わった人びとを強権的に取り締まり、逮捕、弾圧を行った。哲学者のヤン・パトチカは取り調べ中に亡くなり、多くの人びとがオーストリアや国外に亡命する結果になってしまった。それでも、この「憲章77」は68年の「プラハの春」事件の後、抑圧的な体制に逆戻りしていくチェコ社会において、人々が自由や民主主義を求める声を内部から表明した画期的な出来事であり、89年の民主化への道の発端となっていく。

展覧会は、絵画、写真、映像記録、ポスターなどが展示されており、表には出てこなかった当時のチェコのアンダーグラウンドカルチャーシーンの雰囲気が伝わってくる。皆ロングヘアーで、男性は長いヒゲ、よれよれのシャツとジャケットを身につけている。当時の共産主義政権下では、個人が自由に考えや感情を表現することだけでなく、服装、ヘアースタイルなど個人の身なりそのもの逸脱が危険視されており、ロングヘアーやヒゲを生やすこと自体が、西側以上に切実な社会的異議申し立ての表明でもあった。

特に印象に残っているのは、芸術家たちが頻繁に行っていた秘密の会合、室内パーティの写真だ。自宅や知人の家に毎晩集まり、外では自由に表明することができなかったであろう政治、芸術、社会問題について誰もが豊かな表情で語り合っている。また、郊外のキャンプ場でのコンサートでは、野外に打ち捨てられたドラム缶を叩いて演奏したり、廃屋で即興的なポエトリーリーディングや演劇を行なっていた。個人の家、廃屋、郊外の森など様々な場所が、秘密の表現の場へと姿を変え、パフォーマンス、演奏、インスタレーションなどそれぞれの表現が同居し、混じり合い、不思議な熱気を帯びていた。どんな抑圧的な時代や社会であっても、自由な生と表現を求める人々とその精神の地下水脈が脈々と流れていること。尾行、監視、逮捕、拷問など身に差し迫る危険のなかにあっても、自らの考え、表現を表明していった人々がいたこと。今の日本社会を生きる私にとって、当時のチェコ・アンダーグラウンドカルチャーの姿は、より切迫した意味と重みを伴って伝わってきたのだった。

当時のライブイベントの記録写真(撮影:江上賢一郎)

*The Plastic People of the Universe 1969-1985
https://www.youtube.com/watch?v=YjWzA_kxNqQ

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オレンジ・オルタナティブと街の小人たち [江上賢一郎 -3-] https://www.fivedme.org/2018/04/13/%e3%82%aa%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%82%aa%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%83%8a%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%a8%e8%a1%97%e3%81%ae%e5%b0%8f%e4%ba%ba%e3%81%9f%e3%81%a1-the-orange-alternative-and-the/ Fri, 13 Apr 2018 00:31:57 +0000 https://www.fivedme.org/2018/04/13/%e3%82%aa%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%82%aa%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%83%8a%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%a8%e8%a1%97%e3%81%ae%e5%b0%8f%e4%ba%ba%e3%81%9f%e3%81%a1-the-orange-alternative-and-the/ オレンジ・オルタナティブと街の小人たち
The Orange Alternative and the Dwarfs of Wrocław City

江上賢一郎 Kenichiro Egami

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ブロツワフの旧市街(撮影:江上賢一郎)

今年の2月、ポーランド東部の古都ブロツワフにアーティスト・イン・レジデンスで滞在した。パステルカラーの家々に囲まれた美しい広場(Plac Solny)で有名なこの街は、古くはモンゴル侵攻や300年に及ぶドイツ統治など中央ヨーロッパの複雑な歴史を有している。旧市街を歩いていると、街路や建物の角に小さな小人(ドワーフ)の銅像があちらこちら設置されていることに気づく。道路に寝そべっている小人、酒に酔っ払っている小人、小さなカバンを担いで旅に出ようとする小人など、これらの様々なユーモラスな小人たちは約400体にのぼり、今やこの街の観光シンボルになっている。

この小人たち、実は共産主義下のポーランドで行なわれた人々の抵抗運動に由来している。第二次大戦後、ソビエトの衛星国として共産党一党独裁体制を敷いたポーランドで、1980年以降「ニュー・カルチャー・ムーブメント」と呼ばれる運動が生まれていた。これは一党独裁や検閲に反対する学生や芸術家たちによって組織され、表現や言論の自由を求める若者の声を代弁する文化運動だった。この運動の中心人物に、ワルデマー・フリドリヒ(Waldemar Fydrych)という人物がいる。当時美術史を学ぶ学生で「将軍」というあだ名で呼ばれていた彼は、ブロツワフ大学で学生新聞を発行し、1982年に社会主義的シュルレアリズム宣言という詩を発表した。フランスのシュチュアシオニスト・インターナショナル(Situationist International)に触発されたこの宣言で、彼は権威主義的な体制に対してユーモラスで不条理な抵抗を呼びかけたが、主流の学生運動からは不真面目だと非難を浴びてしまう。そこで彼は1985年に「オレンジ・オルタナティブ(Pomarańczowa Alternatywa)」というグループを設立する。これはユースカルチャー/サブカルチャーを基に様々なハプニング、アクションを行う集団で、1989年までのあいだブロツワフの路上を中心に数多くのデモやパフォーマンスを行なった。

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壁に描かれたドワーフ(撮影:トマス・シコルスキ)

彼らの活動でもっとも有名なものが、厳戒令下の街の壁に小人(ドワーフ)の絵/グラフィティを描くというアクションだ。描かれたのは一見子供が壁に落書きしたようなかわいらしい小人の絵だが、これらはすべて政府批判のスローガンを塗りつぶしたペンキの上にさらに上書きされたものだった。壁に描かれた小人たちは、次第に自由に発言できない市民の代わりに彼らの声や感情を代弁する象徴となっていった。さらに、小人の絵にはユーモラスな体制批判のメッセージが加わり、他の街にも出現するようになっていった。また1988年の「レボリューション・オブ・ドワーフス(Revolution of Dwarfs)」では、オレンジの帽子とジャケットをかぶった小人の格好で街を集団で歩き、市民と一緒になってお祭り騒ぎの行進を行なったり、翌年には「秘密警察の設立を祝う記念マーチ」と称して通りを行進し、警察が行進を止めようとすると、人々が警察に抱きつき、キスしたり、花びらを振りかける路上パフォーマンスを行なったりした。

オレンジ・オルタナティブのこれらのパフォーマンスやアクションは、体制側でもなく、また当時の民主化運動の主流であった「連帯」にも馴染めなかった若者たちをサブカルチャーの手法で惹きつけた。「開かれた路上の公式」と呼ばれた彼らのパフォーマンスの方法論は、政治的な要求やイデオロギーの代わりにユーモアや面白さを前面に押し出し(共産党のスローガンをわざと茶化して言い換えることもしばしばだった)、体制や社会システムの不条理さと仰々しさを笑い飛ばそうとした。一見バカバカしいアクションであっても、検閲や統制に締め付けられてきた人々が外に出て自由に表現や発言をし、自発的に行動ができるように勇気づけること。それが彼らの狙いだった。1989年のポーランドの民主化と同時に彼らの主な活動も終了したが、路上でのゲリラ的表現、市民を巻き込むようなパフォーマンスなど、現代のストリート・アートや2000年代の社会運動の祝祭的性格を先取りしていたといってもいいだろう。

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街にあるドワーフ像(撮影:江上賢一郎)

小人の銅像に話を戻そう。2001年に地元の美術学生によって、「オレンジ・オルタナティブ」のメモリアルとして壁に描かれていた小人を模した銅像が建てられ、以来新しい銅像が次々と街に出現していった。ブロツワフ市政による観光化の波を受け、小人の像の元々の歴史的な意味は背景に追いやられてしまったが、オレンジ・オルタナティブの活動は、検閲や密告によって自由な言論や表現が制限されていた時代に、ファンタジーとユーモアをもって路上でパフォーマンスを行った若者たちの芸術/政治運動であり、共産主義圏におけるシュチュアシオニスト的精神の一つの発露であった。

*オレンジ・オルタナティブ
http://www.orangealternativemuseum.pl/#lodz-2

*オレンジ・オルタナティブの当時の活動記録映像
https://www.youtube.com/watch?v=1DTrc_bYFaE

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都市の句読点:角打と遊歩 [江上賢一郎 -2-] https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%ae%e5%8f%a5%e8%aa%ad%e7%82%b9%e8%a7%92%e6%89%93%e3%81%a8%e9%81%8a%e6%ad%a9-punctuation-marks-of-the/ Mon, 19 Mar 2018 20:46:49 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%ae%e5%8f%a5%e8%aa%ad%e7%82%b9%e8%a7%92%e6%89%93%e3%81%a8%e9%81%8a%e6%ad%a9-punctuation-marks-of-the/ 都市の句読点:角打と遊歩
Punctuation Marks of the City: Kakuuchi Style Drinking Culture of Fukuoka

江上賢一郎 Kenichiro Egami

私の住む福岡県には「角打(かくうち)」と呼ばれる種類の酒屋がある。外見はいたって普通の酒屋だが、店内にはカウンターがあり、平日の昼過ぎにもかかわらず近所の人たちでにぎわっている。角打とは、購入した酒をその場で飲むことができる酒屋のことだ。ビールは冷蔵庫から自分で取り出し、酒は注文すると店主がコップに注いでくれる。つまみは缶詰や乾きもの、自家製の小料理がカウンターに並べられている。1000円も出せばすぐにほろ酔い気分になる。法的には曖昧な営業スタイルだが、角打で酒を楽しむ文化は今も北九州を中心に根強く残っている。20世紀初頭、鉄と石炭の街・北九州では、八幡製鐡所をはじめとして昼夜を問わず稼働する工場が数多く存在していた。そして、そこで働く労働者たちは夜勤明けの交代や休憩のわずかな時間に角打に入り、1、2杯注文してさっと飲み干しては次の店に向かう、といった飲み方をして家路についていた。

今でもそれぞれの店には常連のおじさんやおばさんがいて、カウンターで飲んでいるとその土地の街の情景や人びとの姿を生き生きと話してくれる。その土地に生きてきた人たちの声と記憶が、酒とともに聞く側の身体にもゆっくりと染み込んでいく。言葉と身体と酒。ほろ酔い気分で角打と角打をはしごして回るうちに、昔この街に住んでいた人たちの声や姿が路地から浮かんで見えてくるような気分になる。酔いどれつつ歩くことは、都市の経験を変容させる。重たかった足が地上から徐々に離れていき、がんじがらめの街のルールがスルスルとほどけ、自分の身体と街が互いに混じり合っていく。

角打は日々の労働と暮らしのあいだに穿たれた句読点のような場所だ。仕事終わりの一杯の酒は、締め付けるような労働の規律から身体をほぐし、硬い足取りを愉快な「遊歩」に変えてゆく。そして僕たちは、この句読点のなかで想像力を回復させながら、ゆっくりと自分たちの時間のリズムを回復させてゆく。句読点なき都市は、無人工場の延長でしかない。正気の白い光が降り掛かる真昼時、角打から出てきた「遊歩者(フラヌール)」たちはゆらゆらと歩きながら路上の一つ一つのカーブを味わい、二重にぼやけた路地の上でゆっくりとしたダンスを舞い、都市の霊を呼び込む。もし、酔いつつ歩くことが、都市の歴史経験の方法のひとつだとするならば、角打とはそこに生きる/生きた人びとの記憶と出会うための最初の敷居なのかもしれない。

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アスファルトの上の解放区──都市のゲリラ音楽家 YAMAGATA TWEAKSTER[江上賢一郎 -1-] https://www.fivedme.org/2018/03/05/%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%ab%e3%83%88%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%94%be%e5%8c%ba-%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%ae%e3%82%b2%e3%83%aa%e3%83%a9%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e5%ae%b6-yamagata/ Sun, 04 Mar 2018 23:09:12 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/05/%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%ab%e3%83%88%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%94%be%e5%8c%ba-%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%ae%e3%82%b2%e3%83%aa%e3%83%a9%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e5%ae%b6-yamagata/ アスファルトの上の解放区──都市のゲリラ音楽家 YAMAGATA TWEAKSTER
Liberation Area on the Asphalt: Urban Guerrilla Musician, Yamagata Tweakster

江上賢一郎 Kenichiro Egami

ドンマンアヌン ジョジル! ドンマンアヌン ジョジル!(金しか知らないゲス野郎!金しか知らないゲス野郎!)」

9月の深夜1時を過ぎたソウル、ヨンドゥンポ地区。南北に通る広い車道に奇妙なコールが響き渡った。一人の男が突如ライブ・バーの階段を駆け下り、路上に出て車道の真ん中で歌い始めたのだ。オレンジ色のレギンスにピンクのショートパンツ、上半身は蛍光色のシャツ、サングラスに赤十字マークの入った白い帽子というで立ちをしたその男は、両手の人差し指を立てて何かを指差す身振りを繰り返し車道に向かって走りだす。そして、その後ろには拳を宙に突き上げ、コールを繰り返しながら彼を追いかける一群。私もまた、その群れに混じって深夜の車道を駆け抜けていた。

男は、車道の上に寝そべったり、逆立ちしたりと、まるでステージの上にいるかのように踊りはじめた。遮るもののないがらんどうの直線のなかで、体がふわりと軽くなり、手足が目一杯四方に伸びていく。空間の広がりを感じると同時に、私の身体もまた大きく広くなった気分になる。深夜、車もまばらなソウルの4車線大通りの上で、韓国人も日本人も混じって一緒に踊っている。小説や映画の世界ではなく、現実に現れた一瞬の解放区。

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Yamagata Tweakster (Photo by K.Egami) 

ハーメルンの笛吹き男ならぬ、ソウルの笛吹き男。Yamagata Tweakster(ヤマガタ・トゥイークスター)ことハンバ(Hahn Vad)は、これまで様々な場所で即興的に歌い、踊り、ハプニング的状況を作り出してきた都市のゲリラ音楽家だ。ステージから客席に降り、ライブハウスから路上へ飛び出し、さらにはバスや電車、建物の中にまで入り込んでいく。また、彼は様々な社会運動の現場にも現れる。ミリャンの送電線反対運動、ソウルでの障害者権利デモ、さらには日本のデモにまで。ハウス・テクノのダンスミュージックに過激かつメランコリックな歌詞を乗せて歌い上げ、エロティックに体をよじらせて踊る。そうかと思えば、二段蹴りを繰り出しながら信号待ちのタクシーやバスの間を突き進む。それは凍てついた都市への求愛行為のようであり、同時に目の前の壁を突き破ろうとするファイティングポーズのようでもある。

Yamagataの活動が広く知られるきっかけは、2009年の「トゥリバン」闘争だ。ソウル、ホンデ地区にあるカルグックス(韓国うどん)屋の立ち退き反対運動に参加したYamagataらソウルのインディーズ・ミュージシャンたちが、店舗ビルに立てこもり毎日ライブやパフォーマンス、集会を行い、最終的に再開発会社から移転の補償を勝ち取った。暴力的な追い出しによる再開発が頻発する韓国で、アンダーグラウンドカルチャーと都市再開発への抵抗が創造的に結びつくことで住み手の権利を守った運動だ。その後、Yamagataはトゥリバンで出会った音楽家たちと「自立音楽生産組合」を立ち上げ、商業主義とは異なる音楽の生産・流通・受容の回路を作りだすことを試みる。普段はグルーヴグルマと呼ぶ自作のカラフルな屋台を引いて自分のCDや友人たちの音楽、制作物を販売しつつ、2017年9月には自らのスペース「万有引力」をオープンさせた。

Yamagataの後を追いかけ、私たちは街に張り巡らされた境界線を一緒に飛び越える。視界は開け、足は軽やかにアスファルトを蹴り上げ、両手は大きく空に伸びる。声はコンクリートに反響し、コールのこだまのなかで互いに手を取りあう。こうやって踊っていると、都市だけでなく私たち自身もまた、自動車、商業空間、私有地等の境界線によって枠づけられ、囚われてしまっていたことに気がつく。そして、路上でのダンスによって、私たちの体が本来持っていたしなやかさ、軽やかさといった自由の感覚を取り戻していく。

Yamagataは自らの声、音、そして身体そのものをメディアに変えて、分断された都市の状況に介入する。ビートのリズムで二段蹴りを繰り出し、都市の見えない壁に一撃を加える。ハプニングという手法で人々の情動をチューニングし、ユーモラスな身振りによってバラバラになった空間をモザイクのようにつなぎ合わせていく。彼と一緒に踊った人は、Yamagataの後ろに小さな小道が続いていることに気がつくだろう。それは、私たちを隔てる見えない壁に穿たれた穴であり、そこに解放された世界が一瞬だけ現れる。そして、私たちはこの一瞬の空間のなかで自由に踊り続けるのだ。

*「Yamagata Tweakster – 二段横蹴り」
https://www.youtube.com/watch?v=aresTtk01CA

*CD Journal Yamagata Tweakster インタビュー
http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/yamagata-tweakster/1000000822

*韓国音楽ドキュメンタリー映画『Party51』
http://www.offshore-mcc.net/p/party51.html

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