magazine5 review – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org Wed, 17 Mar 2021 05:55:17 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.6.10 https://www.fivedme.org/wp/wp-content/uploads/2020/09/cropped-5dme-32x32.png magazine5 review – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org 32 32 Review’s Contributors https://www.fivedme.org/2018/07/20/about/ https://www.fivedme.org/2018/07/20/about/#respond Thu, 19 Jul 2018 21:31:26 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/20/about/

We publish “5 reviews”: essays at the end of the magazine 5: Designing Mesia Ecology.
本サイトでは、「5: Designing Media Ecology」 の巻末エッセイコーナー、5 review」を雑誌と並行して順次公開しています。

What follows is the list of the current four reviewers of five fields. Past contributors are in the last part.
現在の4人の書き手はつぎのとおりです。過去の書き手は末尾に。

Art & Culture 

江上賢一郎(Kenichiro Egami)
Kenichiro Egami is an independent researcher/a lecturer at Kyushu University (part-time). 2007-09 MA in Anthropology and Cultural Politics, Goldsmiths College, University of London (UK). Kenichiro Egami undertakes independent research and photo documentation on the autonomous space activism of Asia. He also organizes workshops on art and activism in Fukuoka city and works on his first photographic collection.

1980年福岡県生まれ。アート・アクティビズム研究、九州大学非常勤講師。ロンドン大学ゴールドスミス校文化人類学修士課程修了。留学中よりオルタナティブな自立空間のリサーチを開始。2011年より、東アジアのアクティビズム、アート、コミュニティプロジェクトの領域を横断するネットワーク作りを行っている。

 

Science, Technology, and Society

神里達博(Tatsuhiro Kamisato)
Tatsuhiro Kamisato, ph.D., is Professor at Chiba University. Born in 1967 and graduated with a bachelor of chemical engineering from the University of Tokyo, he completed his doctoral studies in the history and philosophy of science. His publications include “Bunmei Tantei no Bouken (The Adventures of a Civilization Detective)” and “Shokuhin Risuku: BSE to Modaniti (Food Risk: BSE and Modernity).”

1967年生まれ、大阪大学CSCD特任准教授などを経て千葉大学教授。東京大学工学部化学工学科卒、同大学院総合文化研究科(科学史・科学哲学)単位取得満期退学。博士(工学)。著書に『文明探偵の冒険』『食品リスク─BSEとモダニティ』など。

 Mediated Culture

Suzanne Mooney(スザンヌ・ムーニー)
Suzanne Mooney is an Irish artist based in Japan. She graduated with a Ph.D. from Tama Art University in 2014 and received an Aesthetica Art Prize in 2015, selected from 3,500 applicants. She has been awarded residencies in Iceland, Korea, Ireland, and Spain. Her art practice examines how representations of landscape in visual arts can reflect our contemporary culture’s lived-space, exploring issues of globalization, urbanization, and the effects of technological developments on our societies. Mooney is a long-term artist-in-residence in Koganecho, Yokohama, and was an exhibiting artist for Koganecho Bazaar 2017.

アーティスト。アイルランド出身。2014 年、多摩美術大学にて博士号を取得。2015年、3,500人の応募者から Aesthetica Art Prizeを受賞。欧州、アジアでの滞在・活動経験があり、グ ローバリゼーション、都市化、技術と社会等の視点から、ビジュアルアートに表される景観と現代空間との関係性を探っている。2015年から、横浜市黄金町アーティスト・イン・レジデンス。2017年、黄金町バザール出展アーティスト。

http://www.suzannemooney.com

Technology & Media

宇田川敦史(Atsushi Udagawa)
Atsushi Udagawa is a Ph.D. student at the Graduate School of Interdisciplinary Information Studies, the University of Tokyo. Born in 1977 in Tokyo, he graduated from the Faculty of Integrated Human Studies, Kyoto University. His research interests include media studies and media history. He is currently working for an e-commerce company as a digital marketing and UX design specialist and researching a ranking system and digital media platform.

1977年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程在学中。京都大学総合人間学部卒。専門はメディア論、メディア史。インターネット企業にて、デジタル・マーケティング、UXデザインなどに従事する傍ら、デジタル・メディアにおけるランキング・システムとプラットフォームの関係性に着目し、研究を行っている。

***Past Contributors

Moving Images

Seongsoo Baeg(ペク・ソンス)
Seongsoo Baeg received a B.A. from the Mass Communication Department, Ewha Woman’s University, South Korea, and completed the master of sociology from the University of Tokyo. She is currently an associate professor of cultural studies of media at Kanda University of International Studies. She conducts joint research (d’CATCH project)  on cross-cultural communication and media literacy with Asian countries. She is a visiting scholar of National University of Singapore in 2015-16.

韓国梨花女子大学卒業、東京大学大学院社会情報学専攻修士課程修了。専門はメディア文化研究。東アジア、東南アジアとの異文化コミュニケーションとメディア・リテラシーのための共同プロジェクト(d’CATCH project) に取り組む。神田外語大学国際コミュニケーション学科准教授。2015年度、シンガポール国立大学客員研究員。

 

Journalism (from 1st to 5th issue)

神谷説子(Setsuko Kamiya)
Setsuko Kamiya is a former staff writer and editor for The Japan Times. She is currently working on her doctorate at the Graduate School of Interdisciplinary Information Studies at the Univ. of Tokyo, focusing on communication design in criminal trials. In 2005, she studied the U.S. jury system as a Fulbright Journalist Fellow and a visiting scholar at the University of California Berkeley.

元ジャパンタイムズ報道部記者・デスク。2005年フルブライト奨学金を得て陪審制の研究で渡米。共著に『世界の裁判員:14カ国イラスト法廷ガイド』(日本評論社)。東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍中。

Art & Culture

高橋聡太(Sota Takahashi)
Sota Takahashi is a lecturer at Fukuoka Jo Gakuin University since 2016, after finishing a Ph.D. course at Tokyo University of the Arts. He was studying popular music in 20th century Japan, focusing on the dynamism of trans-pacific cultural communication. He is currently conducting historical research on live performances by foreign musicians who visited post-occupation Japan.

東京藝術大学大学院博士後期課程単位取得退学、2016年4月から福岡女学院大学人文学部メディア・コミュニケーション学科専任講師。ポピュラー音楽を中心に20世紀の日本における環太平洋的な文化交流の歴史を研究する。現在のテーマは戦後日本の来日公演史。

Learning

Andrew Yang(アンドリュー・ヤン)
Andrew Yang is a transdisciplinary scholar and artist who examines the interweaving ecology of the natural, cultural, and pedagogical aspects.  His artwork has been exhibited from Oklahoma to Yokohama and will appear in the upcoming 14th Istanbul Biennial.  His writing & research appear in various journals, including Biological Theory, Interdisciplinary Science Reviews, Antennae, and Leonardo.   He holds a Ph.D. in Zoology and MFA in Visual Arts and is currently an Associate Professor at the School of the Art Institute of Chicago.

生態学を軸に、自然、文化、教育の分野を横断する学際的活動を展開する研究者・アーティスト。アート作品はオクラホマ、横浜など各地で展覧され、2015年のイスタンブール・ビエンナーレにも出展予定。他方で、「Biological Theory」「Interdisciplinary Science Review」「Antennae」「Lenardo」などのジャーナルに寄稿する。シカゴ美術館附属美術大学准教授。美術学修士、動物学博士。

www.andrewyang.com
www.andrewyang.net

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https://www.fivedme.org/2018/07/20/about/feed/ 0
テクノロジーへの恐れ[宇田川敦史 -2-] https://www.fivedme.org/2018/07/16/fear-of-technology/ Mon, 16 Jul 2018 00:45:00 +0000 https://www.fivedme.org/?p=25 テクノロジーへの恐れ
Fear of Technology

宇田川敦史 Atsushi Udagawa

テクノロジーは、日常的に利用されるものであるほど、その存在が忘却されている。これが、テクノロジーに対する無意識の信頼に支えられていることは、前回述べたとおりである。そして、その信頼が裏切られるような事態が顕在化するとき、その忘却は振り子のように揺り戻される。そこに現れるのは、テクノロジーへの「恐れ」ともいうべき反応である。

今年顕在化したFacebookの個人情報流出問題は、その例のひとつである。わたしたちは、Facebookのタイムライン上の情報がどのようなテクノロジーによって選別されているか、あるいは、Facebookの広告がどのようなデータに基づいて配信されているか、普段意識することはほとんどない。しかし、ひとたび「個人情報が流出した」と報道されると、そのテクノロジーがブラックボックスであったこと、その信頼に根拠がなかったことが、突如としてあらわになるのだ。FacebookのCEO、マーク・ザッカーバーグに対する非難には、このことへの「恐れ」が投射されているようにみえる。これまで意識することなく便利に利用していたサービスが、よくわからないテクノロジーを駆使してわたしたちの日常生活を脅かす存在へと逆転してしまったからだ。

この「個人情報の流出」自体は、5年前(2013年)に発生したものである。ある研究者が開発した性格診断アプリが、当時のFacebook仕様の脆弱性を悪用し、アプリ利用者と、その友達のデータを大量に収集した。データは、プロフィールなどの属性情報と「いいね!」などの行動履歴を含むもので、各ユーザーの嗜好を分析できるものであった。そしてこのアプリの開発者は、これらのデータを、選挙関係の広告配信を行うコンサルティング業者に横流ししていたのだ。この業者が、2016年のアメリカ大統領選挙の広告配信にも関係していたことで、特にアメリカで大きな話題を呼んだわけである。

したがって悪意があったといえるのは、アプリ開発者および広告配信業者のほうであり、Facebook自身ではない。また、この流出を引き起こしたアプリの仕様に関する問題は、すでに4年前(2014年)に対策が取られ、テクニカルにはすでに再発が抑止されている。一方で、アメリカ議会におけるザッカーバーグへの非難とそれに対する言説の一部は、「よくわからないテクノロジーを操ってユーザーの政治信条をねじ曲げる広告に加担した首謀者」といった論調のものであった。

本来責められるべきは、ザッカーバーグが「テクノロジーを操って」いることではなく、プラットフォームとしての社会的責任を十分に果たしていないことであるはずだ。Facebookはもはや、Googleと同様、事実上代替のきかない社会インフラに近い。前回の例をふたたびもちいれば、水道のような存在である。水道は、公共のインフラである以上、水道水に毒物が混入しうるシステムであってはならない。制度の面でも、テクノロジーの面でも、それを抑止できるようにあらかじめデザインすることが、インフラの社会的責任だからである。Facebookは、もちろん自らが進んで毒物を流したわけではない。しかしFacebookは、悪意のあるユーザーが、毒物を含む広告を配信できないようにあらかじめデザインする責務を負っているのだ。Facebookへの批判は、その意味でなされるべきだろう。

ところが、多くの批判は、Facebookのテクノロジーのわからなさ自体にも向けられている。これはいったい何に対する恐れなのだろうか。Facebookのようなプラットフォームは、わたしたちの身体をネットワークへと接続することでサービスを実現している。それはすなわち、機械状のシステムに、わたしたちの主体性が取り込まれていくことを想像させる。わたしたちは、水道水を飲んでいるだけでなく、いわば身体が蛇口と直結させられたまま、水道システムの一部に飲み込まれているような状態なのだ。わたしたちが恐れるのは、蛇口からなにが吸い出されているのか、わからないままに水を飲んでいるからなのかもしれない。

恐れの正体に向き合うために必要なのは、テクノロジーの設計者を悪者扱いし、疎外することではない。問われているのは、わたしたち自身が蛇口とどのようにつながりたいのか、つながるべきなのか、ということである。それはすなわち、社会全体として、望ましいプラットフォームとのかかわり方をいかにデザインできるのか、を問うことに他ならない。そのとき、テクノロジーは、恐れの対象ではなく、その可能性を広げるものにもなりえるのだ。

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科学家のテラス 17[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/07/16/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-17-reflections-from-an-amateur-scientist/ Sun, 15 Jul 2018 19:03:57 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/16/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-17-reflections-from-an-amateur-scientist/

科学家のテラス 17
Reflections from an Amateur Scientist 17

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼こういうの、すげえ面白いじゃん
「何の優先順位?」私は問うた。
「もちろん、志望する役所だべ」友人Xは答えた。
「同時並行で回れないの?」
「まあ、そこは色々とルールがあるからな」
「へー、どんな?」
「結局、拘束をかけるわけ。他にとられないように」
「そういうところは、普通の就職活動と同じだね」
「でもおまえの場合は、あまり関係ねぇな。理系だから」
「理系?」
「そう、技官だから。技官で本格的に行政をやれる役所は限られてるからよぉ。だから、」
「あ、前、言っていた……」
「そう、科技庁」
「科学技術庁★1って、名前はみんな知ってるけど、どんな役所だっけ?」
「これを見ろよ」

Xは、科学技術庁のパンフレットを鞄から取り出した。それは私のところには送られてこなかったから、見るのは初めてだった。
宇宙開発、海洋開発、そして、原子力。当時は、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きてから数年しか経っていなかった。私は、そのことについてはっきりとした考えを持っていたわけではない。しかし、政治的に対立している問題だということくらいは、もちろん知っていた。そして何よりも、経済学者の伯父★2が、昔から、原子力発電はリスクが大きいからやめるべきだ、ということを公に主張していたことがひっかかった。心の中が、ざわっとした。

「原子力は結局……どうなんだろうね」
Xは少し考えてから、口を開いた。

「役人はさぁ、色々な仕事をするわけよ。毎年のように人事異動もある。他の役所に出向することもあれば、海外赴任も普通のことだ。まあ、原子力もやらされるだろうが、そればっかりってことは、ねえよ」
正直、私は釈然としなかった。とはいえ、そのことが気になって前に進めない、というほどのきまじめさは、持ち合わせていなかった。
「とにかく、科技庁にしとけよ。間違いねえから」

その後も、私たちは短い間に何度か「作戦会議」を開いたが、徐々に「若手官僚の政策放談」のような雰囲気になっていった。なにしろ彼はとても分析力が高く、日本が抱えるさまざまな問題点をかなり正確に把握していたからだ。対する私はただの理系の学生だったわけだが、元々政治や思想にも関心があったので、「現役若手官僚」と日本の未来をあれこれ語るのは、否定しようもなく、エキサイティングな時間だった★3。

回を重ねるごとに、明らかに私の心は変容していった――こういうの、すげえ面白いじゃん。こうして、役人になることが天職だと思い込んだ私は、慣れないスーツに身を包み、まっすぐに科技庁に向かった……わけではない。

本連載のこれまでのストーリーをちょっと思い出して欲しい。何しろ私は、まさにその頃、大学のラボでは、アルメニア人研究者のAさんとの研究に急速にのめり込んでいったのだから★4。

まったく、私は、本当は何がしたかったのだろう。自分のことなのだが、当時の気分がどうにも思い出せない。
ただ少なくとも、あの頃の私は、好奇心が服を着て歩いているような有様だったと思う。ゴムボールが、面白そうな方に向かって、ぴょんぴょんと転がっていくような。

というわけで、最初の「波乱」は、何度目かの作戦会議の後だったと思う。
それは一本の電話だった。(つづく)

Endnote:
1 1956年、科学技術庁設置法に基づき、総理府の外局として設置された中央官庁。日本の科学技術を総合的に調整・振興する役割を担っていた。いわゆる「ビッグサイエンス」を国策として推進したが、元々、総理府原子力局から発展したこともあり、特に日本の原子力政策を中心的に推し進めた官庁としても知られる。また、長年にわたる技官の地位向上運動も、その発足への力になったと言われる。しかし1995年に起こった高速増殖炉「もんじゅ」の事故の影響などもあり、橋本内閣の省庁再編では文部省と併合して「文部科学省」となり、この時に原子力関連の部局のほとんどは旧通産省系の官庁に移管された。

★2 神里公(かみさといさお、1933~1996)。元・東洋大学教授。専攻は環境経済学。エネルギーや資源の問題におけるエントロピー論に取り組み、異色の経済学者ジョージェスク=レーゲンの紹介者としても知られる。

★3 今考えると、この頃に私たちが議論していた内容は、その後やってくる平成時代の日本の数々の挫折を、ある意味で予見していたようにも思う。「そんなわけないだろう!」と思われるかもしれないが、案外、しがらみや偏見のない若造の目のほうが、問題の本質を捉えやすいということはあると思う。「王様は、はだかだ!」と叫んだのが、子供だったように。

★4 「科学家のテラス6」、「同7」、「同8」、「同9」、「同10」を参照のこと。

(下記のタグ、#STS をクリックすると過去の連載を一覧できます)

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Duration and Viewer Experience[Suzanne Mooney -8-] https://www.fivedme.org/2018/07/16/duration-and-viewer-experience-%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e6%8e%a5%e8%a7%a6%e6%99%82%e9%96%93%e3%81%a8%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e7%b5%8c%e9%a8%93/ Sun, 15 Jul 2018 18:53:26 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/16/duration-and-viewer-experience-%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e6%8e%a5%e8%a7%a6%e6%99%82%e9%96%93%e3%81%a8%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e7%b5%8c%e9%a8%93/ Duration and Viewer Experience
メディア接触時間と見るという経験

Suzanne Mooney スザンヌ・ムーニー

How long do you spend looking at a work of art, watching a movie, or playing a computer game? I actively avoid art museums and galleries on weekends and holidays, as I cannot abide the ordered shuffle from artwork to artwork, giving almost equal time to each work on display. Generally, at art exhibitions I find myself drawn in or disinterested in extreme degrees. The pressure from the group, social and even physical, as bodies move in apparent automation, take me out of the viewing experience and leave me focused far more on the spectacle that is the viewing public, a chimera viewer. Unlike with other entertainment media, there is no obvious beginning and end to the viewing time. I find myself wondering how the appropriate amount of time might have been decided upon collectively, and likely without any conscious thought. So many of our entertainment viewing experiences are of a fixed duration. We know how long to watch a movie―from the beginning to the end. But over time, through the development of technology and shifts in culture, our expectations of durational experiences in other media are changing too.

The medium more often than not dictates our expectations and experience of duration. Before cinema, the dioramas of Daguerre and Bouton were a viewing spectacle of just 10 to 15 minutes in length. Movies, in the early days of feature films, had their length decided by the physical length of the film reel, with multi-reel films following soon after. Television and radio shows, although often serial, are generally easy to make time for, being typically shorter than feature films, shrinking a little as advertisements appear in greater frequency. Soap operas, some with more than 10, 000 aired episodes, have enthralled audiences for decades, drawing the viewer towards the spectacle of the mundanity or otherness of life, interjected with love and loss. The box set has transcended its namesake format, morphing into subscription-based on demand video providers like Netflix. No longer does the consumer readily enter into an unstated agreement to wait a week at a time to watch the next episode in a television series. Binge watching and series extended into double digits are the new norm, and with this our expectations for viewing duration are adapting. We want more. The film industry is packed to the brim with sequels, prequels, re-boots and interconnected cross-platform storylines. Take the Marvel Cinematic Universe as a prime example, beginning with the Iron Man film (2008), the franchise combines not only 19 feature films, but also 10 additional television series such as Agents of S.H.I.E.L.D. and Jessica Jones taking the total running time to 9 days 17 hours and 29 minutes.*1 The latest release, Avengers: Infinity War (2018) features a colossal 76 characters, each having their own back-stories and build-up over the course of a decade of viewing, and relies on the viewers’ knowledge gained over this time. This is what we expect, and our expectations for viewing and duration continue to change as we engage with entertainment.

In the global computer games industry, set to break the 100 billion dollar mark before 2020, we can find the long-duration, extended viewer-experience taking form. In our media entertainment, despite being interactive in nature, computer games also have pre-determined playtime. 15 hours is typical for a game narrative to unfold, but this length is extended depending on time spent in additional tangential storylines, activities or exploration. Even open-world games tend to have narratives of fixed duration to some degree. Recently, in a select number of games, the narrative has become central with gameplay featuring in support of the narrative. The game God of War (2018) is a 25-hour one-shot sequence that takes the player on a journey, the main chratcer interacting with his son throughout. Senua’s Sacrifice (2017) with just 7 to 8 hours of gameplay is unusually short, shifting the experience even further in the direction of film, or perhaps the box set. Both place emphasis on the framing of scenes, lighting, character development and story-telling, taking the game experience very much into the realm of the cinematic experience. And is this not what we expect, as consumers?

Extended experience comes in many forms―viewing time, 3D cinema, IMAX, V.R., 360-degree video―and controlling the pace of the narrative, the view in real-time and even the fate of characters along the way is another extension of the cinematic experience. As the computer game veers ever closer to cinema, and technological developments in display systems open up new possibilities for viewer-controlled cinema (e.g. through the use of 360-degree video) it may be only a matter of time before the film and computer games industries eventually begin to merge as we, the viewer/player/consumer seek more and more control over the duration and depth of our entertainment experiences.

Endnote:
*1 A detailed list was of viewing order and time was compiled by a Reddit user and shared thought a Marvel Studios subreddit. http://goo.gl/UHxHwA
Found through How Long Is The Entire Marvel Cinematic Universe? by Cameron Bonomolo.
http://comicbook.com/marvel/2017/11/04/marvel-cinematic-universe-entire-how-long/

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テクノロジーの忘却[宇田川敦史 -1-] https://www.fivedme.org/2018/07/16/%e3%83%86%e3%82%af%e3%83%8e%e3%83%ad%e3%82%b8%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%bf%98%e5%8d%b4-forgotten-technology/ Sun, 15 Jul 2018 18:43:30 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/16/%e3%83%86%e3%82%af%e3%83%8e%e3%83%ad%e3%82%b8%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%bf%98%e5%8d%b4-forgotten-technology/ テクノロジーの忘却
Forgotten Technology

宇田川敦史 Atsushi Udagawa

スマートフォンの画面を見ながら、ふと思う。今日はいったい何回ググったのだろうか? 実はこの答え、多くの人は知ることができる。Googleにユーザー登録し、設定をデフォルトのままにしていれば、検索履歴が勝手に記録されているからだ。その記録によると、今日は20回ほど検索していたようだ。単純に平均すれば、1時間に1回以上検索していることになる。

いまや、スマートフォンも、検索エンジンも、日常生活の中であたりまえの存在である。しかしわたしたちは、そのテクノロジーをよく知らない。逆説的だが、日常的に接触しているモノほど、その成り立ちや仕組みは意識されないものなのだ。

もっとも顕著な例が、社会インフラだ。たとえば水道。日本中いたるところに同じような形をした蛇口があり、それをひねれば安全に飲める水が出てくる。日本では水道水の品質は信頼されており、わたしたちは水を飲むとき、いちいち浄水や配管のテクノロジーを考えることはない。

さて、1日にググる回数と、1日に蛇口をひねる回数は、どちらが多いだろうか。スマートフォンを使っている人なら、おそらく、ググる回数のほうが多いのではないか。では、Googleという蛇口から出る水の品質はどうだろう? 日本の水道水と同じくらい信頼できるだろうか? すくなくとも行動の上では、わたしたちは検索エンジンを水道と同じように扱っているようにみえる。つまり、わたしたちは水道の蛇口をひねるくらい日常的に検索ワードを入力し、そこから出てくる水をガブガブ飲んでいる。その水が安全かどうかの根拠はよくわからないが、それ自体を考える前に飲んでしまっているのだ。

Googleが登場して20年ほど経つが、Googleが検索エンジンの事実上の標準となったといえるのは、およそ10年前である(もちろん国や地域によるが)。それ以前のインターネットには、たくさんの検索エンジンがあった。AltaVistaやLycos、Excite、Infoseekなどのアメリカの検索エンジンはもちろん、国内でもgooやNTT DIRECTORY、ODiN、千里眼などがしのぎを削っていた。その頃を知る人にはいずれも懐かしい名前ばかりだろう。

当時は、どの検索エンジンも、十分に信頼されているとはいえなかった。蛇口をひねっても、少しの量しか出てこなかったり、逆に大量の水がとめどなく溢れ出たり、変な色の水が混じったり、とにかく不安定だったのだ。出てくる水が期待どおりでないからこそ、わたしたちはその仕組みを知ろうとしたり改良しようとしたりする。たとえば、この蛇口は水圧に対して配管が細すぎるから、ひねるときはそっとひねろうとか、複数の蛇口をひねってみて、いちばん透明度の高い水を選ぼうとか、テクノロジーに向き合いながら適応していくのだ。実際当時は、「結果がたくさん出過ぎる」検索エンジンには最初から絞り込んだキーワードを入れたり、複数の検索エンジンの結果を見比べるためのツールを自作したり、欲しい情報を得るために、さまざまな工夫をしたものだった。その水が安全かどうかは、自分で判断するしかなかったからだ。草創期のネットユーザーはそんなことをくりかえしながら、いつのまにかそれぞれの検索エンジンのテクノロジーに詳しくなっていたものだった。

しかし今では、Googleという安定した水道ができたおかげで、いつでも適度な量の水が、適切な透明度で、得られる(と信じられる)ようになった。いまや検索エンジンといえばGoogleを指すようになり(Yahoo!の検索もそのエンジンはGoogleである)、「ググる」が動詞になり、それと反比例するかのように、検索エンジンのテクノロジーを意識する機会は減った。「Google以後」にインターネットに触れるようになった世代には、Google以外に検索エンジンがあったこと自体を想像できないかもしれない。それは、水道の草創期を体験していない世代が、水道のオルターナティブを想像することがむずかしいことと同じである。

テクノロジーを忘却しながら、わたしたちはGoogleを使い続ける。ひとたびそれが習慣化すれば、それが信頼できるかどうかの根拠はなくても、水道のように使い続けてしまう。たとえ「信頼しよう」という明確な意志がなくても、これは事実上Googleのテクノロジーを信頼していることと同じである。むしろ、信頼というのは根拠がないからこそ信頼なのだ。

だからといって、Googleを使うのをやめようとか、Googleのアルゴリズムをすべてのユーザーが理解すべきなどと主張するつもりはない。しかし、その習慣的な行動に、根拠がない、ということ自体は知っておくべきだろう。この「無知の知」こそ、メディアとテクノロジーの関係をとらえる入り口になるはずだから。

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Charta77とチェコ・アンダーグランドカルチャーの地下水脈[江上賢一郎 -4-] https://www.fivedme.org/2018/07/15/charta77%e3%81%a8%e3%83%81%e3%82%a7%e3%82%b3%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e6%b0%b4/ Sat, 14 Jul 2018 18:36:12 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/15/charta77%e3%81%a8%e3%83%81%e3%82%a7%e3%82%b3%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%81%ae%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e6%b0%b4/ Charta77とチェコ・アンダーグランドカルチャーの地下水脈
Charta77 & Czech Underground Cultural Movement during Communist Regime

江上賢一郎 Kenichiro Egami

「百塔の街」と呼ばれるチェコの美しき都、プラハ。この街を南北に流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋を渡り坂道を登っていくと、赤い屋根の続くプラハの街並みを一望できる王宮前広場に出る。ここにはチェコの政治を代々司ってきたプラハ城がそびえており、その一角に国立美術館(Salm Palace)がある。2018年2月にこの場所を訪れたとき、ふとあるバナーが目にとまった。それは十数名の男女のモノクロ集合写真の展覧会バナーで、「Charta Story & Charter 77 in pictures」というタイトルがついていた。内容は見当もつかなかったが、写真に写っている人びとの不敵な笑みに引き寄せられ美術館に入り、チケットを購入した。展示室に入ると、3つの部屋に古い手紙、モノクロ写真、絵画、手紙などが交互に並べられ、アーカイブとして展示されていた。入り口には「Charta77について」いう説明書きがチェコ語と英語で書かれていた。

「Charta Story」国立美術館のバナー(撮影:江上賢一郎)

「Charta Story」展覧会場(国立美術館 https://www.ngprague.cz/より)

「Charta77(憲章77)」とは、共産主義一党独裁下の1977年、当局によって逮捕、投獄された人々の釈放と人権の遵守を求めた声明文のことだ。後のチェコ共和国初代大統領となった劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルや、詩人のパヴェル・コホウトらが起草し、西ドイツの新聞に発表されたこの宣言は、厳しい社会的抑圧の続くプラハで生まれた市民的不服従の表明だった。憲章77に関わった人々の紹介とともに、その当時のチェコのアンダーグラウンドカルチャーの様子も展示されていた。

実際、「憲章77」が生まれた直接のきっかけは、その前年の76年春にチェコ当局がアンダーグランドで活動するミュージシャン、芸術家たちを逮捕・勾留したことだった。その年の2月、詩人で美術批評家のイヴァン・イロウス(Ivan Jirous)がプラハ郊外で結婚式を挙げた。この結婚式は当時、地下活動をしていたミュージシャンやアーティストたちが一堂に会するイベントでもあった。最も有名なのは、イヴァン自身がディレクターを務めていた「The Plastic People of the Universe」で、68年にベーシストのミラン・ラヴァサ(Milan Hlavsa)によって結成されたサイケデリック・ロックバンドだった。当時、西側の音楽は非合法であり、自由に演奏できる場所は皆無だったが、彼らは地下室、工場などの秘密の場所で演奏を行っていた。フランク・ザッパやベルベット・アンダーグランドに影響を受け、サイケな曲調に共産党やソビエトの全体主義に対するユーモラスかつ皮肉めいた歌詞を加えて、ヴァイオリンやサックス、そしてチェコの民族音楽のリズムを加えた実験的かつ演劇的な演奏を行っていた。

The Plastic People of the Universe (共産主義博物館 http://muzeumkomunismu.cz/cs/より)

イヴァン・イロウス(右から2人目、国立美術館HPより)

展覧会に展示されていたイヴァンの結婚式の写真は、結婚式という名前を借りた無許可フェスティバルの様相を呈していた。ミュージシャンたちは農家の納屋を会場がわりに自由に実験的な演奏をしたり、パフォーマンスを行った。イヴァンは前年に「A Report on the Third Czech Musical Revival」と呼ばれるチェコのアンダーグランドカルチャーについての覚書を地下出版で出している。そこでは、アンダーグランドであることの定義について、美的で創造的な生活の追求、全体主義社会への抵抗の意思、体制から押し付けられた文化の拒否などが簡潔明瞭に書かれており、この手刷りの冊子は当時の芸術家たちによって手渡しで読み継がれていった。彼はまた「druhá kultura(The Second Culture)」と呼ばれる野外のフェスティバルを開催するが、警察によって解散させられ、公序良俗を犯したとして結果的に逮捕されてしまう。

政治家でも、反体制活動家でもないミュージシャンたちを逮捕したことにショックを受けた人々は、彼らの釈放と人権の尊重を要求する「憲章77」を起草し、裁判所前につめかけた。厳しい検閲や圧力にもかかわらず、この声明には241人の知識人、芸術家、聖職者、運動家たちの署名が集まった。声明そのものは反体制というよりも、人権尊重を唱える穏やかなものだった。しかし、当局は署名に加わった人びとを強権的に取り締まり、逮捕、弾圧を行った。哲学者のヤン・パトチカは取り調べ中に亡くなり、多くの人びとがオーストリアや国外に亡命する結果になってしまった。それでも、この「憲章77」は68年の「プラハの春」事件の後、抑圧的な体制に逆戻りしていくチェコ社会において、人々が自由や民主主義を求める声を内部から表明した画期的な出来事であり、89年の民主化への道の発端となっていく。

展覧会は、絵画、写真、映像記録、ポスターなどが展示されており、表には出てこなかった当時のチェコのアンダーグラウンドカルチャーシーンの雰囲気が伝わってくる。皆ロングヘアーで、男性は長いヒゲ、よれよれのシャツとジャケットを身につけている。当時の共産主義政権下では、個人が自由に考えや感情を表現することだけでなく、服装、ヘアースタイルなど個人の身なりそのもの逸脱が危険視されており、ロングヘアーやヒゲを生やすこと自体が、西側以上に切実な社会的異議申し立ての表明でもあった。

特に印象に残っているのは、芸術家たちが頻繁に行っていた秘密の会合、室内パーティの写真だ。自宅や知人の家に毎晩集まり、外では自由に表明することができなかったであろう政治、芸術、社会問題について誰もが豊かな表情で語り合っている。また、郊外のキャンプ場でのコンサートでは、野外に打ち捨てられたドラム缶を叩いて演奏したり、廃屋で即興的なポエトリーリーディングや演劇を行なっていた。個人の家、廃屋、郊外の森など様々な場所が、秘密の表現の場へと姿を変え、パフォーマンス、演奏、インスタレーションなどそれぞれの表現が同居し、混じり合い、不思議な熱気を帯びていた。どんな抑圧的な時代や社会であっても、自由な生と表現を求める人々とその精神の地下水脈が脈々と流れていること。尾行、監視、逮捕、拷問など身に差し迫る危険のなかにあっても、自らの考え、表現を表明していった人々がいたこと。今の日本社会を生きる私にとって、当時のチェコ・アンダーグラウンドカルチャーの姿は、より切迫した意味と重みを伴って伝わってきたのだった。

当時のライブイベントの記録写真(撮影:江上賢一郎)

*The Plastic People of the Universe 1969-1985
https://www.youtube.com/watch?v=YjWzA_kxNqQ

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科学家のテラス 16[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/07/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-16-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2018/07/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-16-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Sat, 14 Jul 2018 18:13:53 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-16-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 16
Reflections from an Amateur Scientist 16

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼カミサトくん、官庁訪問の対策を練る
「次は官庁訪問だ!」

1990年代初頭のこと。私の「公務員試験受験プロジェクト」に、友人Xはとてつもなく前のめりだった。なんで他人の就職活動にこんなに関心があるんだろう、と不思議に思ったものだ。とはいえ、まあ国家の中枢「カスミガセキ」は謎のゾーンだし、なんとなく興味はあった。だから、とりあえずはこの流れに任せてみるか、と私は考えたのだ。実に安直★1だった。

まずは各省庁の資料を集めるところから始めるか、などと思っていると、ほどなく向こうから勝手に資料が送られてきた★2。繰り返しになるが、私は元々、役所勤めを目指していたわけではなく、試験を受けはしたものの、その先についてはほとんど考えていなかった。つくづく、実に安直だ。

しかし人間とは不思議なもので、そうやって色々な役所の綺麗なパンフレットを眺めていると、「世の中には色々な仕事があるもんだなあ」「自分だったらどこの役所が合うかな」などと考え始めていた。

「俺、本気になってる?」そんな自分に、一番自分が驚いた。
ともかくXは「作戦会議」をすると言っているから、事前に予習しておかないと格好がつかない。私は送られてきた資料の気になるところにいくつか付箋を貼り、再び都内某所で彼と待ち合わせた。

その日、彼は、やや不機嫌そうな顔でやってきた。
「でよぉ、オマエさ、少しは官庁訪問のやり方、知ってんのか?」と、のたまふ。
「いや、全く何も!」私は答えた。
「なんだよぉ、ちっとは準備しとけよぉ。まあいいや、俺が全部教えてやるから」

なんだよは、こっちの台詞、おまえが強く強く勧めたからこういうことになったという面もあるわけで……などと無責任な言葉が口から出そうになったが、私はそれを呑み込んだ。

「で、どうすんの?」
「まあ、きちっとスーツ着てよ、就職活動すんだよ。普通に役所に行って、受付の人に『官庁訪問に来ましたぁ』って言えばどうするか教えてくれるべ」
「何か持っていくものとか、ないの?」
「特にいらねぇな。最初に人事の担当者がプロセスを簡単に説明してくれる。あとは待合室で待機していると順番に呼ばれて、『○○局△△課の××係長に会いに行ってください』とか言われるぞ。で、その人と話をする。普通に面接だ。これを繰り返していく」

「それ、何人くらい会うの?」
「役所によるんじゃねぇか。まあ最初は若い人から、係長とか、そういう人と話をする。だんだんと相手の役職が上がっていく。途中で、『次は何日の何時に来て欲しい』とか言われたら、その日は解散」
「ふーん。どうなったら合格なの?」
「一種の双六★3みたいなものだからよぉ、途中で次回の約束の話がなくなったら、ゲームオーバーだべ。まあ、後で呼ばれることもあるんだけど、だいたいはないかな。最後には、『一緒に仕事をしていきたいと私たちは考えてます』とか言われるんじゃねぇか。普通の就職活動★4の内々定と同じ。口約束だべ」
「となると、その面接が重要だね。」
「そりゃそーよ。ただその前にもっと重要なのは」
「重要なのは?」 (つづく)

Endnote:
1 元々の意味は、「値段が安いこと」。転じて、十分に考えず、また手間をかけない様子を意味する。ただし、「何が安直か」は、時代の雰囲気に左右されるようにも思う。そもそも当時は、物事をできるだけ簡単に、手間をかけず、しかし結果を出すことが最も優れたことだという価値観が横溢していた。それは確かに「バブル」という時代の空気だったとは思う。日本社会が「勤勉」という価値観を信じなくなったのは、おそらくあの頃からだろう。

★2 記憶の限り、ずいぶん沢山の資料が送られてきたように思う。最近はどうなっているのだろう。また、私の受験した試験区分は「化学」だったので、科学や技術に関係のある役所から来るのは理解できたが、一見、関係のない「K庁」や「O省」からも資料が来たのには驚いた。

★3 「双六」には、二人で対戦するボードゲームの「盤双六」と、紙に描かれた経路を順に進んでいく「絵双六」があった。前者は古代バビロニアの時代にすでに存在したとされ、さまざまな派生ゲームに枝分かれして世界中に広がった。現在では「バックギャモン」として知られている。一方、サイコロの出た目の数だけステップを進めていき、早くゴールに到達した者を勝者とする「絵双六」が、現在の日本ではおおむね「すごろく」として認知されている。日本ではなぜか同じ「すごろく」と呼ばれていた二つのゲームは、海外ではそれぞれ別の名が与えられ、区別されてきた。日本でも有名な「人生ゲーム(The Game of Life)」は、19世紀半ばに米国で開発された「絵双六」の一種である。

★4 現在では「シュウカツ」と呼び習わされている就職活動だが、1990年代の初頭は、まだこの省略形は使われていなかった。当時は、PCや携帯電話は普及していなかったし、インターネットも全く一般的ではなかった。そのため就職活動は「紙ベース」+「電話」で進めるのが普通であり、アプライできる企業の数は自ずと限られた。一般に、学生一人あたりの就職活動に費やす時間は、労働市況の影響を受けるだろう。とりわけ「就職氷河期」と言われた時期は、エントリーする学生も、対応する企業も互いに「無駄骨・無駄足」が多く、共に大いに消耗した。結局、「シュウカツ支援テクノロジー」の発達こそが、学生の「就活の時間」の膨張を生んだ主因ではないかという気がしてくるが、真相はいかに。

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We Are All Producers[Suzanne Mooney -7-] https://www.fivedme.org/2018/07/15/we-are-all-producers-%e3%81%bf%e3%82%93%e3%81%aa%e8%a1%a8%e7%8f%be%e8%80%85/ Sat, 14 Jul 2018 18:03:55 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/15/we-are-all-producers-%e3%81%bf%e3%82%93%e3%81%aa%e8%a1%a8%e7%8f%be%e8%80%85/ We Are All Producers
みんな表現者

Suzanne Mooney スザンヌ・ムーニー

In 19th century Europe, visual culture was transformed. It was certainly not the first time, but this point of technological change saw the foundations laid for the contemporary globalised world we now inhabit. The birth of photography allowed Nature to be captured through photographic processes, or in the words of Daguerre*1, “It is a chemical and physical process which gives her the power to reproduce herself.”*2 We may no longer require chemical processing in the shooting and development of photographic images, but the basic principles of photography remain unchanged: the light from our three-dimensional world becomes fixed as a two-dimensional representation. At the time of Niépce’s first successful heliograph*3, and development of the Daguerreotype and subsequent processes that followed, I wonder, could Niépce or Daguerre have truly fathomed the omnipresence that the photograph would attain? On contemplating this current place and time, it is somewhat difficult to project the resultant impact and longevity of more recent development in visual culture. Politics, economy, and a host of other factors will determine which methods of image-production are to stand the test of time ― light-field, 3D, 360-degree cameras, etc. Yet, in many ways, the method of production has become less important. Not as a means of image making per se, but rather as one of dissemination, social media is without doubt one of the greatest changes in our experience of images. Even as recently as the end of the last decade of the 20th century, although it was common to consume images on a daily basis ― through advertising, books and magazines, television, and the Internet, to name but a few examples ― the making of images was not a daily activity for the majority. Nowadays, through social media, in addition to consuming images, the extent to which the average user shares image content is astounding. Social media has irrevocably impacted our relationship with photographic imagery and has made producers of us all.

Let’s take a moment to consider this role of “producer”. It is true that the rate of the public’s general production of images has increased exponentially, but we are also less involved in the making process. It is a challenge to fail at taking a photograph with an iPhone, or most other recent models of smart phones. The software and camera technology do most of the work. The camera adjusts tone, allows the user to shoot in extremely low light, and handles dynamic range better than most compact cameras, in addition to offering presets through which we can select the desired style of image even before the shutter is opened. Through our cameras we can view our world in black and white, sepia tone, or vivid colours, though the real-time generated preview image. We can even bring the Purikura booth with us to draw out that inner kawaii. It is as simple as making a request ― envisioning the end image and instructing the machine to produce the image as per the specifications. And as I relay this information that you are likely well aware of, you may be thinking to yourself that this is hardly something new or cutting-edge. This way of viewing the world is now commonplace. Not only can we imagine our world in images, but we can also view our immediate surroundings through the lens and computer processing of our phones in real-time. The old clichéd image of raised lighters was replaced by that of an ocean of glowing smart phones some time ago, as festival-goers can spend an equal amount of time viewing performers on the screens of their phones, while broadcasting the images live along with saving the experience for posterity. But now in this second decade of the 21st century, as instagrammable takes its place in the lexicon of the English language, public events, concerts, exhibitions and travel can be measured and valued in their ability to be reproduced as images. The ease with which an experience can be captured as an image and shared through social media platforms is impacting the way our first-hand experiences are being designed and structured.

Smart devices may already feel like an extension of our selves, and it may be only a matter of time before the distinction between the body and machine is less clear-cut, but the shift in our visual experience of the world is already changed. As we await the A.R. or V.R. revolution, it is easy to miss the fact that in our hybrid digital/analogue world, Mixed Reality is already very much here. If we could only project fifty or so years into our own futures to pull this period of development into focus, into perspective in the broader history of human technological development, I can’t help but wonder what profundities of our current technological development will be so clearly visible in hindsight as that of photography of the 19th century.

Endnote:
*1 Louis Jaques Mandé Daguerre (1787 – 1851), a French artist and inventor who, through his collaboration with Joseph Nicéphore Niépce, developed the Daguerreotype process, the first photographic process available to the public (1839).

*2 “Daguerreotype”, Louis Jaques Mandé Daguerre. Classic Essays on Photography Edited by Alan Trachtenberg. Leete’s Island Books. New Haven, Conn. 1980

*3 Joseph Nicéphore Niépce (1765 – 1833), a French inventor and pioneer in photography who produced the world’s first surviving photographic image, and the first photographic image from nature View from the Window at Le Gras (1826/1827), a heliograph (from Greek: helios meaning sun and graphein meaning to write).

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オレンジ・オルタナティブと街の小人たち [江上賢一郎 -3-] https://www.fivedme.org/2018/04/13/%e3%82%aa%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%82%aa%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%83%8a%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%a8%e8%a1%97%e3%81%ae%e5%b0%8f%e4%ba%ba%e3%81%9f%e3%81%a1-the-orange-alternative-and-the/ Fri, 13 Apr 2018 00:31:57 +0000 https://www.fivedme.org/2018/04/13/%e3%82%aa%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%82%aa%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%83%8a%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%a8%e8%a1%97%e3%81%ae%e5%b0%8f%e4%ba%ba%e3%81%9f%e3%81%a1-the-orange-alternative-and-the/ オレンジ・オルタナティブと街の小人たち
The Orange Alternative and the Dwarfs of Wrocław City

江上賢一郎 Kenichiro Egami

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ブロツワフの旧市街(撮影:江上賢一郎)

今年の2月、ポーランド東部の古都ブロツワフにアーティスト・イン・レジデンスで滞在した。パステルカラーの家々に囲まれた美しい広場(Plac Solny)で有名なこの街は、古くはモンゴル侵攻や300年に及ぶドイツ統治など中央ヨーロッパの複雑な歴史を有している。旧市街を歩いていると、街路や建物の角に小さな小人(ドワーフ)の銅像があちらこちら設置されていることに気づく。道路に寝そべっている小人、酒に酔っ払っている小人、小さなカバンを担いで旅に出ようとする小人など、これらの様々なユーモラスな小人たちは約400体にのぼり、今やこの街の観光シンボルになっている。

この小人たち、実は共産主義下のポーランドで行なわれた人々の抵抗運動に由来している。第二次大戦後、ソビエトの衛星国として共産党一党独裁体制を敷いたポーランドで、1980年以降「ニュー・カルチャー・ムーブメント」と呼ばれる運動が生まれていた。これは一党独裁や検閲に反対する学生や芸術家たちによって組織され、表現や言論の自由を求める若者の声を代弁する文化運動だった。この運動の中心人物に、ワルデマー・フリドリヒ(Waldemar Fydrych)という人物がいる。当時美術史を学ぶ学生で「将軍」というあだ名で呼ばれていた彼は、ブロツワフ大学で学生新聞を発行し、1982年に社会主義的シュルレアリズム宣言という詩を発表した。フランスのシュチュアシオニスト・インターナショナル(Situationist International)に触発されたこの宣言で、彼は権威主義的な体制に対してユーモラスで不条理な抵抗を呼びかけたが、主流の学生運動からは不真面目だと非難を浴びてしまう。そこで彼は1985年に「オレンジ・オルタナティブ(Pomarańczowa Alternatywa)」というグループを設立する。これはユースカルチャー/サブカルチャーを基に様々なハプニング、アクションを行う集団で、1989年までのあいだブロツワフの路上を中心に数多くのデモやパフォーマンスを行なった。

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壁に描かれたドワーフ(撮影:トマス・シコルスキ)

彼らの活動でもっとも有名なものが、厳戒令下の街の壁に小人(ドワーフ)の絵/グラフィティを描くというアクションだ。描かれたのは一見子供が壁に落書きしたようなかわいらしい小人の絵だが、これらはすべて政府批判のスローガンを塗りつぶしたペンキの上にさらに上書きされたものだった。壁に描かれた小人たちは、次第に自由に発言できない市民の代わりに彼らの声や感情を代弁する象徴となっていった。さらに、小人の絵にはユーモラスな体制批判のメッセージが加わり、他の街にも出現するようになっていった。また1988年の「レボリューション・オブ・ドワーフス(Revolution of Dwarfs)」では、オレンジの帽子とジャケットをかぶった小人の格好で街を集団で歩き、市民と一緒になってお祭り騒ぎの行進を行なったり、翌年には「秘密警察の設立を祝う記念マーチ」と称して通りを行進し、警察が行進を止めようとすると、人々が警察に抱きつき、キスしたり、花びらを振りかける路上パフォーマンスを行なったりした。

オレンジ・オルタナティブのこれらのパフォーマンスやアクションは、体制側でもなく、また当時の民主化運動の主流であった「連帯」にも馴染めなかった若者たちをサブカルチャーの手法で惹きつけた。「開かれた路上の公式」と呼ばれた彼らのパフォーマンスの方法論は、政治的な要求やイデオロギーの代わりにユーモアや面白さを前面に押し出し(共産党のスローガンをわざと茶化して言い換えることもしばしばだった)、体制や社会システムの不条理さと仰々しさを笑い飛ばそうとした。一見バカバカしいアクションであっても、検閲や統制に締め付けられてきた人々が外に出て自由に表現や発言をし、自発的に行動ができるように勇気づけること。それが彼らの狙いだった。1989年のポーランドの民主化と同時に彼らの主な活動も終了したが、路上でのゲリラ的表現、市民を巻き込むようなパフォーマンスなど、現代のストリート・アートや2000年代の社会運動の祝祭的性格を先取りしていたといってもいいだろう。

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街にあるドワーフ像(撮影:江上賢一郎)

小人の銅像に話を戻そう。2001年に地元の美術学生によって、「オレンジ・オルタナティブ」のメモリアルとして壁に描かれていた小人を模した銅像が建てられ、以来新しい銅像が次々と街に出現していった。ブロツワフ市政による観光化の波を受け、小人の像の元々の歴史的な意味は背景に追いやられてしまったが、オレンジ・オルタナティブの活動は、検閲や密告によって自由な言論や表現が制限されていた時代に、ファンタジーとユーモアをもって路上でパフォーマンスを行った若者たちの芸術/政治運動であり、共産主義圏におけるシュチュアシオニスト的精神の一つの発露であった。

*オレンジ・オルタナティブ
http://www.orangealternativemuseum.pl/#lodz-2

*オレンジ・オルタナティブの当時の活動記録映像
https://www.youtube.com/watch?v=1DTrc_bYFaE

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科学家のテラス 15[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Mon, 19 Mar 2018 21:07:54 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 15
Reflections from an Amateur Scientist 15

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼「公僕なんぞ」に… すべてはバブルのせい?
前回は、八重洲ブックセンターで公務員試験の問題集を買ったところまで、であった。すでに本連載で述べてきたように、私はその後、研究室で基礎的な研究のトレーニングを受けつつ、その合間を縫って公務員試験の勉強をした。忙しかったはずだが、不思議と大変だった記憶はない。

ただし当時、「公務員を目指す」というのは、現在とはかなり違う受け止められ方をしていた、ということは確認しておきたい。というのも、本連載9「そしてエスニックな大食事会」の巻でも触れたが、この時期はかの有名な「バブル」に当たっていたからだ。

最近では、バブルという時代そのものが「ネタ化★1」しているが、ともかく「ぼーっとしていると就職してしまう」というような異様な状況であった。民間企業は業績が良いところが多かったが、とりわけ金融・不動産系は我が世の春を謳歌していたから、「XX銀行★2に入れば生涯賃金ウン億だぞ」などと真顔で語る同級生も出現する始末であった。

だから私のような理工系の学生でも、銀行や証券会社などに就職する者は少なくなかったし、正直、「この企業の採用担当者は阿呆なのか?」と思うほど、どこの企業もありとあらゆる手段を使って学生集めに躍起になっていた。

そういう「就職楽勝」の時代に、わざわざ「2度も試験を受けて」「給料の安い」「公僕なんぞ」になろうというのである。さらに自分の場合は理系であって、せっかく数学や物理などの「難しい」勉強をしてきたのに、毎日実験で夜遅くまで研究室に縛られてきたのに、それらの努力を全部反故にして、「文系でも」入れるようなところに就職するのか!?、というような、ポリティカリーにコレクト★3でない言い回しで、批判なさった先輩もいたように記憶している。

そんな否定的な意見もあったわけだが、当時の私の気分は「ちょっとした保険」くらいのもので、要するに信念がないぶん、批判の声も軽く受け流していたのだと思う。

なんと不真面目なことか。若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、もし今、そんな若者が目の前に現れたら私は、もっと人生をマジメに考えろと、叱り飛ばすだろう。いや、今の若者は驚異的な低成長時代に育っているから、誰もがもっと地に足が着いているか。だから私たちの世代は「バブル世代★4」などという不名誉なレッテルを貼られたのだろうか。

そういうわけで、実にふわっとした気分で受けた公務員試験であったが、私は特に難もなく、一次試験をパスした。いや、正確に言えば、試験の詳細もよく覚えていないのだ。流石に法律職や経済職の公務員試験ではこうはいかないだろうが、自分の受けてきた全ての試験の中で、もっとも手応えが少なかったのが公務員試験であった。人生の七不思議である。

早速、友人Xから電話があり、私が合格を伝えると彼は興奮して言った。「次はカンチョー訪問だべ。作戦会議やるぞ。資料、集めといてやるからな!」

カンチョー? 私は全く未知の世界に、引きずり込まれようとしていた。(つづく)

Endnote:
1 「ネタ」は、「種(たね)」を逆さにした言葉で、落語や漫才、コントなどのお笑いの脚本・台本のことを指す。1回のセッションで実演されるストーリーをひとまとまりの単位として、「1本、2本」という数詞でかぞえられる。特定の職業や人物、組織、地域や時代などをデフォルメしてストーリーの基軸とすることも多く、その場合はしばしば連作の形態をとる。例えば、刑事と犯人のコントの場合は「刑事ネタ」と呼ばれるわけだが、近年、「バブル時代」を題材としたコント等が散見されるようになった。歴史的に対象化されるほど、遠い過去になったということの証左かもしれない。また「忘れられた」ということは、新たなバブルの発生・崩壊がやってくる予兆でもある。

★2 ご承知の通り、多数存在した都市銀行や長期信用銀行はその後、いくつかが破綻して消滅し、また合併・吸収が繰り返され、現在の姿となった。個人的には、「常識」というものがいかに儚いものか、また、理屈に合わないことは滅びるものだ、ということを学ぶ機会になった。

★3 politically correctあるいはpolitical correctness、PCとも略される。伝統的にアメリカの政治・文化が、「WASP(白人のアングロサクソンで宗教的にプロテスタントのキリスト教徒)の男性」の価値観を基軸に構築されてきたということへの反省から、宗教・人種・信条・性別等におけるマイノリティの立場を尊重し、「政治的に妥当」なものに改めることを目指す姿勢のことである。近年では、その対象が動物や環境など、人間を超えた存在にも広がってきている。一方で、これを単なる「差別用語禁止運動」として、表現の自由を抑圧する行為と捉える者もおり、論争が絶えない。日本でも最近は、この種の問題が左右両側から「炎上」することが増えてきているが、自由とは、平等とは何かという、近代の本質にもつながる、なかなか難しいテーマでもある。

★4 一般に、いわゆるバブル期に就職が内定した世代のことを指す。なぜか、バブルという時代の性質が内面化されているとされ、「見栄っ張りで世渡り上手」などと評されることも多い。しかし当然ながら、学歴によって就職年齢は異なるので、年齢で世代を定義するのは難しい。またそもそも、20世紀後半の日本のバブルというものが、主として金融・不動産業の過度な好況から始まった現象であることを考えれば、そのような、日本のごく一部の企業の被雇用者のメンタリティが、世代全体を規定したと推定するのは妄想としか言いようがない。実際、この世代が就職してすぐにバブルは崩壊し、長い低成長の時代がやってくる。その間に新規採用が著しく抑制された結果、「バブル世代」には長期にわたって部下が非常に少なく、組織の下支えをする役回りを長い間、担わされた。むしろ「永久ヒラ社員世代」とでも呼ぶべきだろう。一方で、バブル時代に現実に交際費等をふんだんに使い、計画性のない愚かな投資を続けて日本経済を破綻させたのは、世代的には、当時すでに企業人として決定権を持っていた「昭和ヒトケタ」や「団塊」など、かなり上の世代である。少なくとも、バブルという時代に対する責任は、どう考えても、いわゆる「バブル世代」には存在しない。

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https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/feed/ 0
Food, Ritual, and Culture[Suzanne Mooney -6-] https://www.fivedme.org/2018/03/20/food-ritual-and-culture-%e9%a3%9f%e3%81%b9%e7%89%a9%e5%84%80%e7%a4%bc%e6%96%87%e5%8c%96/ Mon, 19 Mar 2018 20:57:47 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/20/food-ritual-and-culture-%e9%a3%9f%e3%81%b9%e7%89%a9%e5%84%80%e7%a4%bc%e6%96%87%e5%8c%96/ Food, Ritual, and Culture
食べ物、儀礼、文化

Suzanne Mooney スザンヌ・ムーニー

Food is an expression of culture. In every important milestone or seasonal event, food plays a role, through connection with the local area and land, and the social aspect of sharing a meal with others. More recently, food is a constant feature in photographs on social media, facilitating a public expression of identity.

While I write this short text, we have entered the month of November, and as the season begins its shift towards colder days, the evenings grow shorter, the leaves turn colour and the warmth of summer abates. The familiar autumn season, even on the other end of the Eurasian continent, evokes sights, smells and flavours from childhood―seasonal foods and a subtle yet distinctive scent on the cooler air. The feast of Samhain (better known to most as Halloween) has just passed, marking the end of harvest and time to settle in for the winter. This Gaelic celebration combines rich histories, cultures, and traditions from across Europe. There is some debate about the origin of Samhain (translated as “summer’s end”), but it has its roots in Celtic culture. In countries that see a significant shift in seasons, the harvest festival has practical and cultural importance. At the end of the harvest, family and community came together to celebrate Samhain, to ward off the spirits of ancestors and to share their local culture, feasting together. Food is still an equally important part of Halloween as for any traditional celebration, by way of barm brack, colcannon and soul cakes*1.

This time of year used to see preparation for winter underway through the traditions of preserving, pickling and fermenting. Ultimately, the human body and the seasons are intertwined through our need to eat to survive, and such distinctions of season are deeply tied to farming and survival through the less abundant months of the year. In this globally interconnected world, it is easy to forget how so many of our cultural festivals were deeply connected to seasonal change and survival. But despite this, food holds great cultural meaning, even today, despite the availability of almost any food all year round. These days, methods and recipes are still passed down through generations, even if only for cultural preservation rather than their original purpose as a means of survival.

Food and social interaction have always been interrelated. These days, food is shared not only in person but also through social media. Consumer-generated images fill social media threads, with hashtags such as #foodporn or #foodgasm. A recent publication in the Journal of Consumer Marketing*2 suggests that the act of taking a photograph of one’s meal, combined with the delayed satisfaction of stopping to upload an image, actually makes the act of eating more pleasurable. Another study*3 found some correlation between eating in front of a mirror―as substitute for eating with others―and improvement in the eating experience, also resulting in a greater appetite and consumption of food. The 1960s T.V. dinner has been replaced by the gastrogramming of today’s social media generation, both of which create a way for the lone diner to feel some connection with the wider world. Our means of social interaction change, particularly with developments in technology and media but, of course, there is far more going on in the sharing of eating experiences through social media than seeking companionship. Through the selection of food, any of the wide range of identifiers―religion, nationality, vegetarianism, health-consciousness―used to build our online persona, true to that of our “real-life” self or otherwise, are made public.

It is at this time of year that I begin preparing Christmas puddings, based on a recipe from my grandmother. This traditional preserved food will be a centre-piece when celebrating the year’s end with friends, setting the pudding alight at the climax of the meal, and no doubt it will make its way onto social media in some form, an expression of my own heritage and the making of memories, connecting across differences of language, culture, or politics―all gathered at the table to feast together.

Endnote:
*1 I do not include pumpkins in this list, as they are a relatively recent addition to Halloween celebration, a change brought about through the mass emigration of Irish to the United States between 1820 and 1860, approximately 2 million people. It was only in America that the traditional carved turnip was ousted by the easier to carve, and tastier, pumpkin.

*2 Sean Coary, Morgan Poor, (2016) ‘How consumer-generated images shape important consumption outcomes in the food domain’, Journal of Consumer Marketing, Vol. 33 Issue: 1, pp.1-8

*3 Ryuzaburo Nakata, Nobuyuki Kawai, (2017) ‘The “social” Facilitation of Eating without the Presence of Others: Self-Reflection on Eating Makes Food Taste Better and People Eat More’, Physiology & Behavior, 179. Supplement C, 23–29

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都市の句読点:角打と遊歩 [江上賢一郎 -2-] https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%ae%e5%8f%a5%e8%aa%ad%e7%82%b9%e8%a7%92%e6%89%93%e3%81%a8%e9%81%8a%e6%ad%a9-punctuation-marks-of-the/ Mon, 19 Mar 2018 20:46:49 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e9%83%bd%e5%b8%82%e3%81%ae%e5%8f%a5%e8%aa%ad%e7%82%b9%e8%a7%92%e6%89%93%e3%81%a8%e9%81%8a%e6%ad%a9-punctuation-marks-of-the/ 都市の句読点:角打と遊歩
Punctuation Marks of the City: Kakuuchi Style Drinking Culture of Fukuoka

江上賢一郎 Kenichiro Egami

私の住む福岡県には「角打(かくうち)」と呼ばれる種類の酒屋がある。外見はいたって普通の酒屋だが、店内にはカウンターがあり、平日の昼過ぎにもかかわらず近所の人たちでにぎわっている。角打とは、購入した酒をその場で飲むことができる酒屋のことだ。ビールは冷蔵庫から自分で取り出し、酒は注文すると店主がコップに注いでくれる。つまみは缶詰や乾きもの、自家製の小料理がカウンターに並べられている。1000円も出せばすぐにほろ酔い気分になる。法的には曖昧な営業スタイルだが、角打で酒を楽しむ文化は今も北九州を中心に根強く残っている。20世紀初頭、鉄と石炭の街・北九州では、八幡製鐡所をはじめとして昼夜を問わず稼働する工場が数多く存在していた。そして、そこで働く労働者たちは夜勤明けの交代や休憩のわずかな時間に角打に入り、1、2杯注文してさっと飲み干しては次の店に向かう、といった飲み方をして家路についていた。

今でもそれぞれの店には常連のおじさんやおばさんがいて、カウンターで飲んでいるとその土地の街の情景や人びとの姿を生き生きと話してくれる。その土地に生きてきた人たちの声と記憶が、酒とともに聞く側の身体にもゆっくりと染み込んでいく。言葉と身体と酒。ほろ酔い気分で角打と角打をはしごして回るうちに、昔この街に住んでいた人たちの声や姿が路地から浮かんで見えてくるような気分になる。酔いどれつつ歩くことは、都市の経験を変容させる。重たかった足が地上から徐々に離れていき、がんじがらめの街のルールがスルスルとほどけ、自分の身体と街が互いに混じり合っていく。

角打は日々の労働と暮らしのあいだに穿たれた句読点のような場所だ。仕事終わりの一杯の酒は、締め付けるような労働の規律から身体をほぐし、硬い足取りを愉快な「遊歩」に変えてゆく。そして僕たちは、この句読点のなかで想像力を回復させながら、ゆっくりと自分たちの時間のリズムを回復させてゆく。句読点なき都市は、無人工場の延長でしかない。正気の白い光が降り掛かる真昼時、角打から出てきた「遊歩者(フラヌール)」たちはゆらゆらと歩きながら路上の一つ一つのカーブを味わい、二重にぼやけた路地の上でゆっくりとしたダンスを舞い、都市の霊を呼び込む。もし、酔いつつ歩くことが、都市の歴史経験の方法のひとつだとするならば、角打とはそこに生きる/生きた人びとの記憶と出会うための最初の敷居なのかもしれない。

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