Sota Takahashi – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org Wed, 17 Mar 2021 05:49:41 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.6.10 https://www.fivedme.org/wp/wp-content/uploads/2020/09/cropped-5dme-32x32.png Sota Takahashi – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org 32 32 破壊的想像力を再稼働する[高橋聡太 -13-] https://www.fivedme.org/2016/11/12/%e7%a0%b4%e5%a3%8a%e7%9a%84%e6%83%b3%e5%83%8f%e5%8a%9b%e3%82%92%e5%86%8d%e7%a8%bc%e5%83%8d%e3%81%99%e3%82%8b-restart-the-doomed-imagination/ Fri, 11 Nov 2016 20:48:46 +0000 https://www.fivedme.org/2016/11/12/%e7%a0%b4%e5%a3%8a%e7%9a%84%e6%83%b3%e5%83%8f%e5%8a%9b%e3%82%92%e5%86%8d%e7%a8%bc%e5%83%8d%e3%81%99%e3%82%8b-restart-the-doomed-imagination/ 破壊的想像力を再稼働する
Restart the Doomed Imagination

高橋聡太 Sota Takahashi

映画『シン・ゴジラ』の上映を封切日深夜0時の回でいち早く見終えた自分は、茫然自失していた。率直に言って、作品の出来には期待していなかった。わざわざ足を運んだ動機は、どうせ酷評されるなら他者の意見に惑わされる前に初回の上映をこの目で見届けようという消極的なものだった。物心ついたころから恐竜や怪獣に夢中になり「コウコガクシャになる」と言い張っていた自分を、もうそんなものに一喜一憂している場合じゃないぞと説得したかったのである。

しかし、過去の自分に引導を渡すどころか、上映後しばらくは同行した友人ともども絶句し、「えええ」「うう……」などのうめき声しか発せない赤子のような状態に戻ってしまった。深夜の新宿をふらついて頭を冷やし、すこし落ち着いてからは堰を切ったように言葉があふれ出し、夜明けまで感想戦を続けた。その日のうちに似たような現象がネット上に散見したかと思うと、その爆風は瞬く間に広がった。興行収入も、総監督の庵野秀明による人気シリーズの目下最新作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の52億円を上回り、本稿執筆時の2016年10月下旬現在で80億円を突破。観客動員数は500万人を超えている。

本作が多くの人々を驚嘆せしめたのは、これほどまでに既視感のある画面ばかりが配置された映画を、誰も目にしたことがなかったからかもしれない。劇中では初代『ゴジラ』を筆頭に、往年の特撮作品や岡本喜八や市川崑といった日本映画の巨匠による諸作、それらに着想を得た庵野自身の作品、さらには震災や原発事故の報道や、広島と長崎の写真や軍の資料映像といった、日本の危機を想起させる素材が虚実や新旧の別なくミックスされている。計算しつくされた編集と画面構成で目まぐるしく押し寄せてくる既知の奔流が、おそろしい量塊感を持つ未知の生命として現れるのだ。

そこで問われるべきは「オリジナル」のありかではなく、膨大な引用に刺激されて甦る観客それぞれの経験だ。1954年の生誕時に立ち返って再生し、自衛隊のミサイル攻撃にもびくともせず泰然とその姿を保つ巨大不明生物は、ちょうど化学反応における触媒のように、自身の本質を変えずに観客ひとりひとりの連想を加速させる。たとえば2011年3月11日を渋谷近辺で迎えた自分は、本作で東京が壊滅するさまを目にして、恥ずかしながら映画館で初めて畏怖のあまり落涙した。幼少時にまだ見ぬ大都会を破壊する怪獣たちに声援を送っていた自分が、大人になってから「もうやめてくれ」と劇場で祈ることになるとは思ってもいなかった。

クライマックスでは、天災とも人災ともつかぬ東日本大震災の惨禍をモチーフにした巨大不明生物が、撃退されるでも海に帰るでもなく、東京駅の丸の内側でメルトダウン後の原発のごとく凍結させられる。その体が静止する直前、ゴジラは半獣半人の修羅のような全身を奮い立たせ、東京駅の西側を睨みつける。その目線の先に、皇居が見据えられていてもおかしくない。奇しくも映画が公開された7月には天皇の生前退位の意向が報じられ、封切りから約1週間後には前例のない「お気持ち」放送が大々的に組まれた。劇中で何度も繰り返された記者会見の場面をなぞるような画面と、ともすれば政治への干渉とされかねないきわどい線を渡るその言葉に、本作の鍵を握る科学者がのこした「私は好きにした、君らも好きにしろ」の一言を思い出した。東京駅を空想上の炉心とする危機的思考の連鎖反応は、もうしばらく続くだろう。最後のカットでカメラがにじりよるゴジラの尾からは、人骨状の異形がおびただしく突き出ており、それはいたましい死者にも、生まれたばかりの命にも見えた。

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カシャカシャ包囲網[高橋聡太 -12-]  https://www.fivedme.org/2016/10/21/%e3%82%ab%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%82%ab%e3%82%b7%e3%83%a3%e5%8c%85%e5%9b%b2%e7%b6%b2-surrounded-by-the-casual-shooters/ Thu, 20 Oct 2016 23:43:44 +0000 https://www.fivedme.org/2016/10/21/%e3%82%ab%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%82%ab%e3%82%b7%e3%83%a3%e5%8c%85%e5%9b%b2%e7%b6%b2-surrounded-by-the-casual-shooters/ カシャカシャ包囲網
Surrounded by the Casual Shooters

高橋聡太 Sota Takahashi

はじめて自分のカメラを持ったのはいつだろう。個人的な思い出をたどると、おそらく最初に手にしたのは小学校の修学旅行に持参した、いわゆる使い捨てのレンズ付きフィルム「写ルンです」だ。旅程の序盤に訪れた八景島の水族館で、さっそく観察そっちのけで撮影にのめりこんだ。水槽のガラスにカメラ本体を密着させて魚群の動きを追い、目当ての魚が接近したらファインダーを覗いて待ち伏せ、魚影が眼前をよぎると大あわてでシャッターを切る。当然ながら、ピントが合わず光量も不十分なこの試みは失敗に終わり、後日近所のクリーニング店から返ってきた現像の出来に肩を落とした。

そんな記憶が、国立近代美術館で開催されているトーマス・ルフの写真展でよみがえった。というのも、カメラの使用が許可された展示会場内には、鑑賞よりもスマートフォンでの撮影に没頭している様子の来場者が散見したからだ。もっとも、同じ「撮影」と呼ばれる行為であっても、残り少ないフィルム数を意識して息をつまらせながらファインダーを覗いてシャッターを切るのと、ポケットからさっと取り出したスマートフォンでカメラアプリを立ち上げて画面をタップするのとでは、その身のこなしや緊張感には大きな違いがある。展示されていたルフの諸作も、私たちがしばしば「写真」と一括りにしがちな視覚的再生産技術の複層性に焦点を絞り、証明写真・暗視写真・報道写真・天体写真・インターネット上のjpeg画像などを縦横無尽にとりあげて、それぞれの特性を浮き彫りにするものだった。

しかも、ルフが投げかける「写真とは何なのか」という直球の問いと、一対一で静かに向き合うことは許されない。会場内のどこにいても、カメラアプリが発するカシャカシャとした操作音とともに、否応なく他の来場者の気配がつきまとうため、自ずと思考は周囲の人々の行為にも及んでいく。せっかくの美しいプリントをスマホで撮ってどうするのか……現物があるならじっくり目で見たほうが……いや、撮影に熱心だからといってちゃんと見ていないと決めつけるのも狭量すぎる……等々、自問自答を繰り返した。

そもそもこうしたすれ違いは、普段の生活のなかでも時折自分をわずらわせていた。飲食店で料理を撮るのはアリかナシか。演奏中のミュージシャンにカメラを向けるのはどうだろう。観光地を訪れたときに同行者が自撮り棒を取り出したら、自分だったらちょっと引いてしまうかもしれない。スマートフォンのカメラは、撮るか撮らざるかの決断をあらゆる機会に迫ってくる。ゆえに、撮影と同時に何らかの意思が漏れ出てしまうことも増え、それをどこかはしたないものだと思ってしまうからこそ、自分は苛立ってしまうのだろう。

同時に、撮影願望のいわばネガであるところの「何を撮らないのか」という判断も、ある種の自己主張となってしまう。ちなみにトーマス・ルフは、今回の企画展のために受けたインタビューにて「最後にカメラのシャッターを押したのはいつですか?」という質問にこう答えている。

2003年です。家族サービスで娘の写真を撮ることはありますが(笑)、作品としてはそれが最後ですね。(http://thomasruff.jp/texts/d_interview_2/)

疑似シャッター音のサラウンドのなかで展示室内の椅子に腰をかけて逡巡しつつ、どうしても美術館内での撮影に抵抗のあった自分を説き伏せて一枚だけ写真を撮り、それをTwitterにアップして会場をあとにした。

https://twitter.com/sotahb/status/771306045503184896

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景勝と人造の入り江[高橋聡太 -11-] https://www.fivedme.org/2016/05/15/%e6%99%af%e5%8b%9d%e3%81%a8%e4%ba%ba%e9%80%a0%e3%81%ae%e5%85%a5%e3%82%8a%e6%b1%9f-the-cove-of-mimetic-beauty/ Sun, 15 May 2016 03:43:01 +0000 https://www.fivedme.org/2016/05/15/%e6%99%af%e5%8b%9d%e3%81%a8%e4%ba%ba%e9%80%a0%e3%81%ae%e5%85%a5%e3%82%8a%e6%b1%9f-the-cove-of-mimetic-beauty/ 景勝と人造の入り江
The Cove of Mimetic Beauty

高橋聡太 Sota Takahashi

常磐線を乗り継いで茨城を経由して福島方面へ向かうと、日立市にさしかかるあたりから車窓に広がる海岸線の雄大な景観に目を奪われる。その沿線でもとりわけ有名なのが、五浦(いずら)海岸の眺望だ。波に削られた断崖に青々と生い茂るクロマツの緑と、湾の複雑な地形にさしこむ光が生む色とりどりの青のコントラストが特徴的な五浦の自然は、古来多くの人々を魅了してきたという。

近代日本の美術を支えた岡倉天心もその一人である。1905年、天心は五浦の地に六角堂と呼ばれる小さな庵を建てた。絶壁の岩肌を背負いつつ太平洋を眼前に眺められるこのお堂は、自然に身を任せて思索に没頭できるよう、天心自ら設計したものである。翌1906年には天心は横山大観や菱田春草らとともに日本美術院を五浦に移したこともあり、その近辺は近代日本美術ゆかりの地として美術館や史跡などが整備されている。

ふとしたきっかけでこの地のことを知り、自然も美術も楽しめるなら一石二鳥と足を運んでみたのだが、いざ海沿いの公園にもうけられた高台から六角堂を眺めてみると強烈な違和感を覚えた。そのとりあわせから事前に想像していた、故事や水墨画で描かれるような泰然とした風景とは微妙なズレがあったのだ。そのわけは、実際に六角堂に近づいてみてよりはっきりとした。あまりにも建物が新しいのである。

2011年3月11日の大地震によって引き起こされた津波を受けて、六角堂はその基礎だけをかろうじてのこし、大部分が海に流されてしまっていた。現在の五浦にあるのは、茨城大学を中心とする研究チームの尽力により、海底からサルベージされた堂の一部などを元に復元されたものであり、完成からまだ数年しか経過していない。

その上、近辺には岡倉天心の映画撮影のために再建された日本美術院のセットや、同院で活躍した画家たちの絵画や彫刻のレプリカも展示されており、その文化資源のほとんどが二次的に制作されたものだ。設置された当時からのこっている数少ない文化資源のひとつは「亜細亜ハ一な里(アジアはひとつなり)」と刻まれた大きな石碑で、皮肉にもこれは天心がとなえた「Asia is one」という理念を彼の没後に軍事的プロパガンダに利用するべくして建てられたものである。

きわめつきは、再度の津波被害を防ぐため湾内に設置された消波ブロックである。通常のテトラポッドでは景観を損なうと判断したのか、周囲の岩礁に似せて作られた模造の岩のような物体が海中から顔を出しているため、遠目に見るとさながら間違い探しをしているような感覚におそわれるのだ。

五浦に設置されている雑多な人造物には、かつての天心一行の野心や、史的遺産をのこそうとする学術的なねらい、土地の来歴をいかした観光地化の目論見など、この地に思いを馳せてきた人々の思念がないまぜになっている。震災から五年を経た五浦の奇妙な光景は、本来あらゆる史跡にのこされているはずの手垢のようなものを複層的に可視化した、きわめて稀有な事例だろう。これらがひとまとまりの歴史的な遺産として認められ、周囲の自然となじむまでには、どのぐらいの時間が必要なのだろうか。

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テロに盾突く平和と愛とデスメタル[高橋聡太 -10-] https://www.fivedme.org/2016/04/24/%e3%83%86%e3%83%ad%e3%81%ab%e7%9b%be%e7%aa%81%e3%81%8f%e5%b9%b3%e5%92%8c%e3%81%a8%e6%84%9b%e3%81%a8%e3%83%87%e3%82%b9%e3%83%a1%e3%82%bf%e3%83%ab-challenging-terrorism-with-peace/ Sat, 23 Apr 2016 23:16:16 +0000 https://www.fivedme.org/2016/04/24/%e3%83%86%e3%83%ad%e3%81%ab%e7%9b%be%e7%aa%81%e3%81%8f%e5%b9%b3%e5%92%8c%e3%81%a8%e6%84%9b%e3%81%a8%e3%83%87%e3%82%b9%e3%83%a1%e3%82%bf%e3%83%ab-challenging-terrorism-with-peace/ テロに盾突く平和と愛とデスメタル
Challenging Terrorism with Peace, Love, Death Metal

高橋聡太 Sota Takahashi

2007年3月14日、バレンタインのお返しをする予定などまったくなかったぼくは、とあるロックバンドの来日公演に足を運んでいた。いかがわしい口ひげをたくわえたフロントマンのジェシー・ヒューズは、くだらない下ネタやジョークをたっぷり盛り込んだ底抜けにごきげんな楽曲を次々に繰り出す。単なるバカ騒ぎに終止するだけではなく、古きよきロックンロールをこよなく愛するヒューズの確かな実力と、サイドを固める腕利きのミュージシャンたちのアンサンブルが、骨太なうねりを生み出していた。ヒューズが曲間でグリースたっぷりの髪をクシで大げさになでつけるたびに歓声があがり、会場との一体感も充分。ぼくも気づけば最前列で歌い踊って大いに公演を楽しんだ。

気さくなメンバーは終演後も会場にとどまってファンと交流し、ぼくもたどたどしい英語でチケットの半券にサインをお願いした。初来日ということもあり集客はかんばしくなかったが、これほどの手応えを得たバンドならすぐにまた来てくれるだろうと確信したものの、予想は見事に外れ、彼らの再来日はそれから9年が経つ今も実現していない。それでも初来日公演が忘れられなかったぼくは、数年おきに発売されるアルバムを愛聴していたものの、いまだ日本での知名度はマイナーの域を出ることがないままだ。

だからこそ、「イーグルス・オブ・デス・メタル」という彼らの人をくったバンド名を、2015年11月13日にパリで起こった同時多発テロ事件に関する報道で目にしたときには心底驚いた。不幸にもテロリストが押し入ったのは演奏の真っ最中で、89名もの死者を出した被害規模はポピュラー文化史上でも類をみないものだろう。彼らのステージの熱量と陽気さを肌で知っている自分としては、この事件の凄惨さは過去にふれたどんなテロの報道よりも生々しく感じられ、身震いせざるをえなかった。

現代のテロは宗教や人種や国籍といった枠組を超えて切迫する。しかし、われわれはただ新たな局面に怖れ戦くばかりではない。イーグルス・オブ・デス・メタルは、今年に入ってから早くもパリで犠牲者を追悼するための凱旋公演を行っている。そこで彼らは特別なメッセージソングなどを披露するのではなく、シンプルな4カウントで始まる定番のスケベな曲を全力でプレイした。それは直接的なテロ対策にはなりえないが、いつもと変わらぬ乱痴気騒ぎを腹を決めて続けることこそ、不屈の精神を示すための最善の手段であると彼らは信じているに違いない。こうした戦術は、大衆的な文化をつうじてテロへの反骨心を共有するオルタナティブなネットワークを根付かせてくれるだろう。

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うなだれ続ける宿命を背負って[高橋聡太 -9-] https://www.fivedme.org/2015/10/30/%e3%81%86%e3%81%aa%e3%81%a0%e3%82%8c%e7%b6%9a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%bf%e5%91%bd%e3%82%92%e8%83%8c%e8%b2%a0%e3%81%a3%e3%81%a6-accepting-the-fate-of-having-to-be/ Fri, 30 Oct 2015 04:28:58 +0000 https://www.fivedme.org/2015/10/30/%e3%81%86%e3%81%aa%e3%81%a0%e3%82%8c%e7%b6%9a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%ae%bf%e5%91%bd%e3%82%92%e8%83%8c%e8%b2%a0%e3%81%a3%e3%81%a6-accepting-the-fate-of-having-to-be/ うなだれ続ける宿命を背負って
Accepting the Fate of Having to be Ashamed

高橋聡太 Sota Takahashi

帰省中の宴席でのこと。しばらく音信不通だった親戚のおじさんが突然連絡をよこし、金まわりのよさを自慢している……という話でもりあがった。50代も半ばのおじさんは、過去にも何度か妙な儲け話に手を出しては失敗している。どうせ今度の景気もそう長くは続かないだろうと茶化す一同。ところで、今度はどうしてまた急に羽振りがよくなったのか。そう疑問を投げかけると、「福島で除染の仕事をしているらしい」との声がぽつりと返ってきた。それから自分がどう言葉を継いだのかは、よく覚えていない。

福島第一原子力発電所の事故以降、筆者は自分なりの判断で原発に反対する立場をとってきた。デモに参加して「再稼働反対」の声を挙げたことも一度や二度ではない。しかし、昔からよく知っている親類の人生が原発と結びつき、その切実さがどれほど身近に迫っていたのかを初めて痛感した。現場との距離感に無自覚なまま望遠鏡で火事場を眺めていたら、いきなり自分の肩に火の粉がふりかかってきたかのようだった。

自身の無知に恥じ入り、おじさんのことを日々悶々と考えていた折、文筆家としての顔も持つピアノ弾き語りの音楽家・寺尾紗穂が2015年6月に上梓した『原発労働者』を手にとった。本書は、世間の注目が一挙に集まった事故前後の緊急時ではなく、安全に稼動していたとされる平時の原発に焦点を絞り、そこで働く人たちの仕事ぶりに迫った一冊だ。科学者や政策決定者たちが立脚する大局的な視点ではなく、発電所の末端で働く人たちの目線から、ボルトの締め方といったレベルで原発労働の実態を伝える筆致に、思わず息を呑む。

証言者たちの業務内容は多種多様だが、その苛酷さはいずれも想像を絶する。厳しい労働条件と引き換えに得られる多額の報酬は、しばしば被曝対策の細やかな規定を度外視したリスクの高い業務へと労働者たちを駆り立てる。彼らの多くは眼前の仕事をこなして苦役から逃れることに精一杯であり、原子力が社会や環境に及ぼす影響どころか、自身の健康にも配慮が及ばぬほど近視眼的な状況に置かれてしまう。ごく少数の実例が克明に描写されるぶん、彼らの周囲に依然として広がる、いまだ証言されざる原発労働の闇の深さを思い知らされる。そこには、除染のような原発外での間接的な業務も含まれるだろう。

さらに本書では、各証言者が原発労働に従事するまでの経緯とともに、著者の寺尾自身がこの問題に関心を抱くまでの私的な物語が正直に綴られる。その過程で著者が実感として訴えるのは、巧妙に不可視化された原発労働が、現代を生きるすべての人の暮らしと密接につながっているということだ。そのことを自覚した上で、寺尾はこう提案する。

「原発推進、反対を問わず、そこで生み出された電気を使ってきた者がまずしなければならないのは、彼らを国の英雄と祀りあげることなどでなく、「原発を動かしてきた」のは本当は誰であるか真摯に考え、うなだれることではないだろうか」

とはいえ、おじさんのことを知った自分には偶然にも「うなだれる」きっかけがあったが、見知らぬ他者の労苦に想像力をめぐらせることは容易ではない。長く入り組んだ歴史を持つ巨大な制度であれば、尚更その時空間的な広がりを把握するのは困難である。だからこそ、無関心に屈してはならない。寺尾は、われわれを否応なく組み込む国家的装置として原発を戦争と類比しているが、奇しくも本書の出版後の夏に、安倍晋三は戦後70年談話にて「あの戦争には何ら関わりのない」次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と発言した。このような分断に抗うためにも、時空を隔てた他者の声に耳を傾けて、親身に痛みを分かちあう力がますます求められるだろう。

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本屋さんの面妖な抵抗[高橋聡太 -8-] https://www.fivedme.org/2015/09/10/%e6%9c%ac%e5%b1%8b%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e9%9d%a2%e5%a6%96%e3%81%aa%e6%8a%b5%e6%8a%97-an-extraordinary-resistance-of-a-local/ Thu, 10 Sep 2015 09:24:18 +0000 https://www.fivedme.org/2015/09/10/%e6%9c%ac%e5%b1%8b%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e9%9d%a2%e5%a6%96%e3%81%aa%e6%8a%b5%e6%8a%97-an-extraordinary-resistance-of-a-local/ 本屋さんの面妖な抵抗
An Extraordinary Resistance of a Local Bookstore

高橋聡太 Sota Takahashi

窓ガラスの遠く向こうで花火があがり、こちら側のうすぐらい空間を色とりどりに照らしては消えていく。部屋のなかでは髪の長い女性がギターとピアノを静かに弾き語っており、きらめきから一呼吸おいて響く炸裂音が、ときおり歌声に割りこんだ。遠景の賑やかな花火大会と近景の小さな演奏会の不思議なとりあわせに、自分がどこにいるのかを忘れそうになる。さらに奇妙なことに、そこは音響設備の整ったライヴハウスやクラブではなく、北関東の小さな町にある本屋さんだった。

品揃えの豊富な大型書店でも、掘り出しものが見つかる古書店でも、ちょっとおしゃれなセレクトショップでもない、ごく身近な「本屋さん」は今や絶滅の危機に瀕している。花屋さんやパン屋さんのように思わず敬称を付けて呼びたくなるそれは、どんな町の商店街にもあって、店先に設置された緑色のラックに児童向け学年誌の最新号が並び、母から雑誌のおつかいを頼まれたついでにお駄賃でマンガを一冊買いに行くような店である。その特徴をあらわすのにこうして懐古的な例に頼らざるをえないように、書籍流通のほとんどが大型書店やネット通販に代替されてしまった今、少なくとも自分にとって本屋さんの思い出はそれなりに遠い過去に属するものだ。

栃木県鹿沼市の旧街道沿いにあるブックマート興文堂も、一見して典型的な本屋さんである。書棚にはごく普通の雑誌や教材が並び、立ち寄るお客さんの大半も近所の人々だ。しかし、ひとたび店内をめぐれば、ただならぬこだわりが感じられる。店主の高橋朝さんは、1980年前後から即興演奏を主軸とした活動を続けている鹿沼出身の奇才であり、その審美眼が店内の随所にじんわりとあらわれているのだ。文学作品や芸術系のコーナーは、決して大きくないものの「こんな本が出ていたのか」と思わず手がのびるタイトルが厳選されている。レジの近辺には、売れ線の新刊本にまぎれて、多分野から選ばれた推薦本がコアな音盤とともに並び、つい足をとめて見入ってしまう。

さらに、高橋さんは2015年春に店舗規模の縮小にともなって長年にわたり封鎖されていたフロアを再利用し、フリースペースを開設した。冒頭で描写した演奏会は、毎年5月に開催される鹿沼市の花火大会と同日に、オープン記念イベントとして企画されたものだ。全国でも珍しい初夏の花火を見に集まった観光客で町が賑わうこの日、興文堂では十数人の観客が粛々と演奏に耳を傾けていた。地域の人々が制作した絵画やオブジェが並ぶこの面妖な空間は、その後も近隣の高校生のバンド練習や、現代詩の朗読会、即興音楽のイベントなどに幅広く利用されている。鹿沼のとなり町で育ち、文化的なものに焦がれて砂漠を出るように上京した自分にとって、身近な地域にこれほどの濃密な本と人が集まる空間があることは、かなりの衝撃だった。

かつて鹿沼市近辺にあった本屋さんはほとんど閉店し、数少ない生き残りである興文堂の経営状態も決して楽観できない状態だという。しかし、一般的な本の購入手段がマスな手段に置き換えられた今、全国に点在する本屋さんが、長年つちかった各店の人脈や地域特性に活路を見いだして状況に一矢報いようとするのであれば、そのポテンシャルはまだまだ測り知れない。あなたの町の本屋さんからも、きっと予期せぬ知脈が広がっているはずだ。
ちなみに、興文堂の最寄り駅である新鹿沼には、浅草駅から東武線に乗って2時間ほどでたどり着ける。ぜひ足を運んでいただきたい。

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怪獣たちのコモンズ[高橋聡太 -7-] https://www.fivedme.org/2015/05/03/%e6%80%aa%e7%8d%a3%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%ba-kaiju-as-the-commons/ Sun, 03 May 2015 05:53:56 +0000 https://www.fivedme.org/2015/05/03/%e6%80%aa%e7%8d%a3%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%ba-kaiju-as-the-commons/ 怪獣たちのコモンズ
Kaiju as the Commons

高橋聡太 Sota Takahashi

2015年2月、ケンタッキー州ルイヴィルは記録的な寒波に襲われていた。平年通りであればマイナス5度程度のはずのこの地域の最低気温が、連日マイナス20度まで下がり、たまに晴れ間がのぞいても、冷えきった風景を写真におさめようと手袋をはずした途端に指先が凍てつくほどである。街全体を蹂躙して生気をすっかり奪ってしまう大吹雪の威圧に、アメリカ中東部を通り過ぎてゆく巨大な怪獣の姿をつい重ねてしまった。というのも、ルイヴィルで開催された学会で、ぼくはロック音楽と怪獣文化に関した発表をする予定だったからである。

発表の内容はさておき、1980年代後半に生まれた自分にとっても、怪獣は幼いころから身近なものだった。初代『ゴジラ』の公開は1954年、TVシリーズの『ウルトラマン』の放送開始が1966年と、その源流に接しているのは自分の親世代である。だが、自分が幼年期を過ごした1990年前後はちょうどVHSビデオが最盛の時代で、過去の特撮作品も簡単にレンタルできた。よく泣く子だった自分をこわがらせるためか、それともあやすためか、とにかくウルトラマン関連のビデオは自宅でたくさん見せられた。また、同時期に映画館では「平成ゴジラ」と呼ばれるリバイバル・シリーズが年に一度封切られており、毎年必ず劇場に連れて行くようせがんで、視覚的にも聴覚的にも家のテレビで見るのとは比べものにならない怪獣たちの量塊感に興奮していた。

興味深いことに、こうした怪獣文化の追体験は世界中で起こっているようだ。今回の滞在中にルイヴィルでおもしろそうな音楽イヴェントはないものかと事前に近隣の会場をリストアップしたところ、学会が開かれた大学からそう遠くない住宅街に、そのものずばり「Kaiju」と名付けられたバーがあった。2013年に公開されたハリウッド映画『パシフィック・リム』に登場する巨大なモンスターたちが劇中でそのまま「Kaiju」と呼ばれていたように、この言葉は日本のものに限らずレトロなクリーチャー全般を指す用語として海外でも親しまれている。とはいえ、その名を冠したバーを日本から遠く離れたケンタッキー州の地方都市に見つけたときには、思わずのけぞってしまった。

これは足を運ばぬわけにはいくまいと、発表を終えた翌日にまだ雪の残った道をタクシーでむかったところ、店頭にどっしり居座ったこの店オリジナルの真っ赤な一つ目の怪獣が出迎えてくれた。近隣には大学生たちの通うレコード屋があるヒップなエリアらしく、週末の「Kaiju」は寒波をものともしない多くの若者で賑わっていた。カウンター奥の棚にはお酒のボトルと一緒に古今東西の怪獣やロボットたちが並び、ダンスフロアに面した壁面にもオリジナルの怪獣画が大きく描かれている。ローカルな客の多くは、店内のいたるところにあしらわれた怪獣たちに囲まれながら、地元のクラフト・ビールや「Monster Juice」と名付けられた日本酒を片手に談笑し、ビリヤードや、地元のアマチュアバンドによる演奏をゆるく楽しんでいた。ここでは意外にも行き過ぎたオリエンタリズムや日本的オタク性の強調は感じられず、むしろアメリカ中東部の人々が、自分と同じように幼いころから再放送やビデオなどを介して怪獣文化に親しみ、ごく自然にその郷愁にひたっているように見えた。

怪獣モノをはじめとする特撮文化は、えてして「日本独自」のものとしていわゆるクール・ジャパンの文脈に回収されがちだ。しかし、海外産のSF文化が日本のそれに与えた影響は計り知れないし、何よりも太平洋の深部・南海の孤島・火山の底・宇宙空間など、各国単位ではまるで歯のたたぬところからやってくる怪獣たちの出自を、国民国家的な枠組みで画定するのは野暮の極みだろう。現に、大寒波のような天変地異や核兵器の恐怖を体現した怪獣たちが喚起する想像力は、さまざまな世代と地域の人々がローカルなメディアによって血肉化している。やや大げさに言えば、それは愛国心ならぬ愛星心のタマゴを地球規模で育むための大切な母胎となるのかもしれない。

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白いアルバムの老衰[高橋聡太 -6-] https://www.fivedme.org/2015/03/21/%e7%99%bd%e3%81%84%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%83%90%e3%83%a0%e3%81%ae%e8%80%81%e8%a1%b0-white-albums-aging-in-the-test-of-time/ Sat, 21 Mar 2015 07:50:28 +0000 https://www.fivedme.org/2015/03/21/%e7%99%bd%e3%81%84%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%83%90%e3%83%a0%e3%81%ae%e8%80%81%e8%a1%b0-white-albums-aging-in-the-test-of-time/ 白いアルバムの老衰
White Albums Aging in the Test of Time

高橋聡太 Sota Takahashi

中古で取引されるものには、人の手をわたるうちにさまざまな痕跡が残される。古い文芸書に当時の新刊案内がはさまっていると、どんなものが同時代に読まれていたのか気になって、ついタイトルを追ってしまう。値崩れした学術書には多くの場合びっしり傍線が引いてあり、それが本の前半部で途切れていると、「ここで挫折したのか」と妙な親近感がわく。ゲームのカセットを中古で買っていた頃は、前の持主のセーブ・データが残っていると、そのまま開いてひとしきりどう遊んでいたのかを確認するのが好きだった。

文京区本郷のトーキョーワンダーサイトにて、2015/1/24〜2/22に行なわれた美術家のラザフォード・チャンによる展覧会『We Buy White Albums』は、LPレコードが中古市場で流通するうちにどのような変貌をとげるのかを提示する企画だ。タイトルにある「White Album」とは、解散寸前のビートルズが1968年に発売したアルバム『The Beatles』の通称である。リチャード・ハミルトンが手がけた本作のジャケットは、白一色の厚紙にバンド名をエンボス加工でのせ、シリアル番号をプリントしただけの、極めて簡素なデザインで知られている。

チャンは世界中で本作を買い集め、1,000枚以上ものホワイト・アルバムが揃う擬似的な中古レコード店を開いた。展示を構成するのは、スペースの中央に置かれたレコード棚と、壁面にディスプレイされたアルバムだ。形式上はレコード店で見慣れた光景だが、通常アルファベットやアイウエオの順が書かれる棚の仕切りにはホワイト・アルバムのシリアル番号だけがふってあり、もちろんそこにはぎっしり同作がつまっている。また、壁面にもチャンがコレクションから厳選した100枚のホワイト・アルバムだけが飾られている。

かつて機械的複製技術によって寸分違わぬものとして生産されたはずのジャケットの大半は、もはや「ホワイト」とは言えないほど日に焼かれている。さらに、コーヒーをこぼしたようなシミがあるもの、売り買いされるうちに何枚も値札が貼り重ねられたもの、持ち主によって大胆に油性絵の具で絵が描かれたものなど、47年の時を経てそれぞれが十人十色ならぬ千枚千色の容貌を獲得している。展示されている音盤は手にとって試聴することもできるのだが、保存状態によって音質はまちまちで、そもそもホワイト・アルバムの「オリジナル」が存在したのかどうかさえ疑わしくなってくる。

さらに興味深いことに、元来よりこのアルバムは一様なパッケージで流通していたわけではないようだ。日本ではいわゆる「オビ」と呼ばれるアルバム名やコピーが記された紙片が付され、ちょうど在廊していたチャン本人もこの「Obi(海外でもそう呼ぶそう)」の習慣を日本盤の特色として挙げていた。他の国にも変わった仕様の盤はないかと尋ねたところ、彼はレコード棚を漁ってアルゼンチンで発売されたホワイト・アルバムを差し出してくれた。その表面にはエンボス加工で「Los Beatles」とバンド名が表記され、スペイン語圏である同国の聴衆に向けて、あろうことか作者名そのものが改変されていた。

こうした経年変化や地域差はあらゆる音盤に共通するものだが、デリケートな純白の装幀をもつホワイト・アルバムは、それを明白すぎるほどに可視化させる。47年もの時間を1,000枚分のレコードがそれぞれに刻んできたことを思うと、一様に生産・流通・消費されると考えられているありとあらゆる機械的複製品が、実際にはそれぞれが刻々と個別の歴史を更新しているのだということにまで思考が及び、その時空の厚みに気が遠くなった。約900万枚を売り上げ、これからもビートルズの名盤として流通し続けていくであろうホワイト・アルバムは、今後も少しずつ変化し続け、LPレコードというメディアにとっての年輪のような機能を果たしていくのかもしれない。

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お役所的「最低限度」のあいまいな輪郭[高橋聡太 -5-] https://www.fivedme.org/2015/01/30/%e3%81%8a%e5%bd%b9%e6%89%80%e7%9a%84%e6%9c%80%e4%bd%8e%e9%99%90%e5%ba%a6%e3%81%ae%e3%81%82%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%84%e3%81%aa%e8%bc%aa%e9%83%ad-the-vague-border-at-the/ Fri, 30 Jan 2015 05:34:00 +0000 https://www.fivedme.org/2015/01/30/%e3%81%8a%e5%bd%b9%e6%89%80%e7%9a%84%e6%9c%80%e4%bd%8e%e9%99%90%e5%ba%a6%e3%81%ae%e3%81%82%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%84%e3%81%aa%e8%bc%aa%e9%83%ad-the-vague-border-at-the/ お役所的「最低限度」のあいまいな輪郭
The Vague Border at the Bureaucratic “Minimum Standards”

高橋聡太 Sota Takahashi

役所に行くのはいつだって気が重い。ちょっとした手続きでもこちらの不備ひとつで門前払いをくらうこともあるし、お仕着せの手順をなんとかこなしても、混雑度によっては相当に長い待ち時間を耐えなければならない。こうした手続き上の煩雑さはもとより、自分には何をやらされているのか一向に判然としない書面のやりとりが、役所内を右往左往するうちにすれ違う様々な世代や国籍の人々の暮らしを成立させていることの不可解さに打ちのめされ、なんだか途方に暮れてしまうのである。

小学館の青年漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』にて連載中の『健康で文化的な最低限度の生活』は、そんな役所の窓口をはさんだ内側と外側、つまり公務員と市民の関わりをとりあげた稀有な作品だ。生存権を規定する日本国憲法第25条の条文から引いたタイトルが示す通り、本作の主題は困窮する人々に手をさしのべる公的扶助=生活保護である。作者の柏木ハルコは綿密な取材を重ねて、えてしてネガティヴな印象ばかり先行しがちなこの制度の実態を、受給者たちの支援や査察を行うケースワーカーと呼ばれる職員の視点から克明に描いている。

主人公の義経えみるは、どこか気の抜けた自身の性格に悩む20代の女性だ。これといった目的意識もなく公務員試験に合格した彼女は、区役所の福祉事務所の生活課に配属され、ケースワーカーとして働くことになる。生活保護はあくまで臨時の支援制度であるため、受給希望者が切に公的扶助を必要としているのかを慎重に判断し、福祉事務所での面会や自宅訪問などの査察を何度も重ねながら、彼らが独力で生活ができるまでの手助けをしなければならない。こうした受給者たちの支援や査察がケースワーカーに課せられた仕事だ。

つい数日前まで窓口の外側にいた彼女のもとには、配属直後から給付金の振込や受給資格の審査に関する煩瑣な問い合わせが容赦なく舞い込み、ケースワーカーになることなどまったく想定していなかったヒロインを翻弄する。審査の基準や必要な手続きの詳細は、作中の平易な解説を読んでもなお難解だ。複雑きわまる制度が、受け手だけでなく行使する側にとっても得体のしれぬ負荷となって否応なくのしかかる様子は、さながら不条理小説のようである。ぼう漠としたヒロインの心情はよそに、配属直後の彼女に任された生活保護受給世帯の数は百件超。各々ぬきさしならぬ事情で危機にさらされた生活の重さが、右も左も分からぬ彼女の頼りない双肩にのしかかる。その重圧を想像し、何度もページをめくる手が止まった。

しかし、なかなか制度に馴染めないヒロインの朴訥とした性分には同時に希望も秘められている。物語の序盤、自死を選んだ独身男性受給者のアパートを、彼女が部署の上司とともに訪れるシーンがある。過去に何度か同じような状況に遭遇したであろう上司は、新人ケースワーカーである彼女のショックをやわらげるべく「1ケース減って良かったじゃん」と言うのだが、彼女はそんな先輩の声をなかば聞き流しつつ、初めて目の当たりにした受給者の生活環境に瞠目する。ここで作者は、用途によって細かく整理整頓された書類ケースや、小さな机の上に置かれた恋人と思われる女性との2ショット写真など、せまい和室ひと間のディテールをヒロインの視線をなぞるように丹念に描き出していく。受給者が限界を迎えるまで着実に重ねてきた生きる努力の痕跡を目の当たりにした彼女は、業務に慣れきってそれらをほとんど視認しなかった上司の心ない言葉を、胸中で静かに否定するのである。

本作が焦点を当てる人間模様は誰にとっても決して対岸の火事では済まされない。しばしば議論からこぼれ落ちる第一線のケースワーカーの葛藤と、ややもすれば「自己責任」の一言で切って捨てられる受給者の実情を知ることは、セーフティネットの拡大や不正受給の是正といった生活保護をめぐる諸問題だけでなく、官僚制機構の末端で生きることそのものについて考える端緒となるはずだ。その切実で重苦しい内容とは裏腹に、2014年夏に発売された本作の単行本第1巻の表紙を飾ったのは、花びらが舞うなか新しい仕事場へと向かうヒロインの上気した表情である。その頬はすべての人間にかよう血潮であざやかな桜色にそまっている。

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戦争の記憶が波うつところ[高橋聡太 -4-] https://www.fivedme.org/2014/11/01/%e6%88%a6%e4%ba%89%e3%81%ae%e8%a8%98%e6%86%b6%e3%81%8c%e6%b3%a2%e3%81%86%e3%81%a4%e3%81%a8%e3%81%93%e3%82%8d-at-the-shore-of-collective-oblivion/ Sat, 01 Nov 2014 02:07:00 +0000 https://www.fivedme.org/2014/11/01/%e6%88%a6%e4%ba%89%e3%81%ae%e8%a8%98%e6%86%b6%e3%81%8c%e6%b3%a2%e3%81%86%e3%81%a4%e3%81%a8%e3%81%93%e3%82%8d-at-the-shore-of-collective-oblivion/ 戦争の記憶が波うつところ
At the Shore of Collective Oblivion

高橋聡太 Sota Takahashi

2014年8月15日、池袋駅北口の一画にある名画座の新文芸坐は、金曜の午前中から満員の観客で賑わっていた。太平洋戦争の終結から69年を数えるこの日の上映作品は、南方戦線での極限状態を題材にした戦争映画の2本立てだ。そのうちの一本として上映されたのが、深作欣二監督『軍旗はためく下に』(1972年)である。映画が始まると、銀幕上には終戦から約四半世紀を経た1970年前後の終戦記念日の式典で英霊たちを弔う昭和天皇の姿が投射され、時を隔てた2014年のこの日にもつつがなく繰り返されるはずのセレモニーの様子を想像し、眼前のスクリーンに重ねる。

本作の物語は、太平洋戦争で命を落とした一兵卒の死をめぐって展開する。主人公の女性は、終戦後に届いた一葉の郵便に、夫が戦地で没したことを知らされる。そこには死因や命日が記されておらず、さらに「戦死」の文字を消した傍らに「死亡」と不自然に書き殴られていた。これは、彼女の夫が敵前逃亡や上官殺害のかどで軍法会議にかけられ、刑死したことを意味している。犯罪者である彼らは戦没者として扱われることもなく、遺族は戦後しばらく国からの援助を受けることもできなかった。軍法会議の内容は不透明で、遺された人々は肉親がどのような理由で罰せられたのかを知らぬまま屈辱的な仕打ちを受けていた。

妻は毎年8月15日に厚生省に赴き、夫がどのような罪で刑に処されたのかを調査をするよう嘆願し続けるが、やがて官庁は調査を打ち切ってしまう。それでも納得しかねた彼女は、かつて夫と同じ部隊に所属していた復員者たちのもとを自ら探偵のように訪ね歩き、貧民街で浮浪者同前の暮らしを送る者、復員後に劣悪なアルコールに溺れて失明した按摩師、隠居して悠々自適の生活を送る将校など、様々な立場に置かれた人々から戦地の様子を少しずつ聞き出していく。劇中では、1970年代の日本を舞台にしたカラー撮影の調査パートと、終戦を間近に控える1945年の戦地を描いたモノクロ撮影の回想パートが交互に繰り返され、ドキュメンタリーの制作過程に密着したかのような臨場感で様々な経験が語られる。

そこでつまびらかにされる真相は生半可なものではない。むしろ彼女が聞き取りを重ねるごとに、故人の死をとりまく謎はいっそう深まってしまう。ある人物が雄弁に語った思い出は、寡黙な話者のふとした言葉のほころびによってくつがえされ、戦地での夫の行動や人物像は証言者によってことごとく食い違っていく。なかには心の傷を隠すために虚偽を述べるものや、インタビューを受けた直後に怪死を遂げるものまで現れ、平穏な現在に上書きされた暗澹たる過去の深みへと潜るための手がかりは、みるみると失われていく。本作が最も強く訴えるのは、こうした戦争を記憶し語ることの絶望的なまでの困難にほかならない。

頼りない言葉の断片からおぼろげに浮かび上がってくる唯一の共通点は、軍法会議にかけられた人々のうちには、自らの命を守るためやむなく軍規に背いた者も含まれていたということである。映画の終盤では、傷病兵に無理な労働を強制して死に至らしめた士官を、共謀して殺害した人々のエピソードが語られる。そこで義憤に駆られて決起した人物こそ、彼女の亡き夫だったというのだ。その罪は終戦後に密告され、すでに陸軍刑法は形骸化していたにもかかわらず、彼らは戦地にて死刑の判決を受ける。浜辺で刑が執行される直前、日本の方角を確かめて遠く海の向こうを見据えた夫が天皇陛下の名を叫ぶシーンの余韻は、映画の終盤で歪んだエレクトリック・ギターによって奏でられる〈君が代〉の残響とともに、脳裏に焼き付いてはなれない。

特定の事件や思想をとりあげるのではなく、戦争の記憶がいかに葬られていくのかを克明に示した稀有な作品である『軍旗はためく下に』が、新文芸坐で毎年8月に上映される意義は大きい。古今東西の映画を2本立てで上映する名画座は、それ自体が今や失われつつある文化だ。しかし、本作のようにDVD化もされていない作品をしかるべき日に上映し、さまざまな人々とともに鑑賞する経験を与えてくれる名画座の力は、これからも必要とされるだろう。帰途、今なお闇市由来のいかがわしい雰囲気を残す池袋駅北口の雑踏を抜けると、巣鴨拘置所の跡地に墓石のごとくそびえるサンシャインシティのビルが町を見下ろしていた。

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きわどい日々との踊り方[高橋聡太 -3-] https://www.fivedme.org/2014/09/10/%e3%81%8d%e3%82%8f%e3%81%a9%e3%81%84%e6%97%a5%e3%80%85%e3%81%a8%e3%81%ae%e8%b8%8a%e3%82%8a%e6%96%b9how-to-dance-with-crises/ Wed, 10 Sep 2014 03:04:00 +0000 https://www.fivedme.org/2014/09/10/%e3%81%8d%e3%82%8f%e3%81%a9%e3%81%84%e6%97%a5%e3%80%85%e3%81%a8%e3%81%ae%e8%b8%8a%e3%82%8a%e6%96%b9how-to-dance-with-crises/ きわどい日々との踊り方
How to Dance with Crises

高橋聡太 Sota Takahashi

駅前の街頭演説に集う人々の熱気にふれ、テレビの報道特番で選挙結果を知り、ネット中継で杜撰な議論のすえに法案が可決されるのを目にするたび、もう何度も閉塞感にうちひしがれてきた。SNSをつうじて自分と同様の不安を抱く人々と意見を交わしても、電車内の中吊り広告にひしめく週刊誌の下劣な煽り文句がささやかな安堵を台無しにしてしまう。デモに参加すれば実際に多くの人々と足並みを揃えて反感を示すこともできるが、得てして個人攻撃に陥りがちなシュプレヒコールや、時おり警官に浴びせられる口汚い言葉には、かえって協同の困難さを思い知らされる。デモの規模が膨らんでもなお声が届かない現状にも無力感が募るばかりだ。

東日本大震災後に様々な問題が山積していく日本では特に顕著だが、こうした八方ふさがりな心情は、おそらく世界中で何度も繰り返し経験されてきたのだろう。そして、そのたびに人々は芸術が政治にどう関わるべきかを問い続けてきた。

とりわけ日本のポピュラー音楽においては、チャートの上位を占める夢や恋愛をテーマにする音楽と、現実の厳しさを歌う様々なスタイルの草の根的な音楽を対立させる議論がしばしばなされる。もちろんこの図式は不十分である。どれだけ言葉を尽くしても、前者が後者を真面目くさったものとして、後者が前者を脳天気すぎるものとして、互いに唾棄しあうだけの水かけ論に終始してしまうからだ。AかBかの選択をつきつけて視野を狭くする構図は、そのまま政治運動における右左の対立と相似形を成すと言えなくもない。では、どうすればよいのか?

かつてロック・バンドの〈ゆらゆら帝国〉に在籍し、現在はソロ名義で自身のレーベル〈zelone records〉から面妖な楽曲を世に送り出しているミュージシャンの坂本慎太郎は、2014年5月に発売した新アルバム『ナマで踊ろう』で、無視か抵抗かの息苦しい二元論にやわらかだが致命的な一石を投じた。現代から生まれた閉塞感と無力感を、滅亡に瀕した近未来世界の寓話に託して歌った本作は、AでもBでもない方法の一例を示した稀有なアルバムである。新興宗教、プロパガンダ、環境破壊につながる大事故など、アルバム内の各楽曲で取り扱われている問題自体は取り立てて新しいものではない。しかし、具体的な事象にもとづき権力を肉声で糾弾する多くのプロテスト・ソングとは異なり、坂本は小難しい専門用語や固有名詞を排し、小学生でも理解できる簡単な語彙をつむぐことにより、ありとあらゆる最悪な事態の輪郭そのものをきわめて具象的に浮き彫りにしていく。

また、伴奏にハワイアンで用いられるペダル・スティール・ギターや、ラテン音楽に欠かせない各種のパーカッションなど、異国情緒あふれる享楽的な意匠が通底していることも興味深い。この源流は、1950年代末に流行した「エキゾチカ」と呼ばれる様式にある。南洋の島々をはじめとするトロピカルな観光地の音楽とジャズを融合させたエキゾチカは、当時の家庭向けレコード技術とジェット機による航空網の発達を背景とし、高音質な再生装置さえあれば自宅にいながらにしてより身近になった南国のムードを味わえる音楽として人気を集めた。時代遅れで快楽主義的なエキゾチカは今日のヒット曲ともプロテスト・ソングとも無縁だったが、坂本はこれを遠いようで近い異郷へと聞き手をいざなうためのサウンドに取り入れたのである。

『ナマで踊ろう』でひもとかれる来るべきディストピアの物語は、誰もが用いるシンプルな言葉で描写されているがゆえに否応なく現在進行形の危惧と結びつき、手も足も容易に出せない現状の困難さを、過去からやってきたゆったりと気だるい楽園の音楽にのせてするりと嚥下させてしまう。エキゾチカ流行の背景となった1950年代の国際化が冷戦の激化によってもたらされたものであったように、作品の内外で様々な時間軸を往来しつつ現代の生を肯定も否定もせずにたんたんと描写する本作もまた、1950年代の核エネルギー技術が2011年にゆさぶられて遠い未来の命運を左右し、現政権の所業が不用意に戦前の全体主義と結びつけられてしまう昨今の混乱と無縁ではない。凄絶な事態から目を背けるのでもなく、打開策をもとめて無闇にあがくのでもなく、現実を見据えつつ悲観と楽観のあいだでどっちつかずにゆらゆらと踊り続けることも、今日を生きるひとつの手段なのだ。

坂本慎太郎〈スーパーカルト誕生 (Birth of The Super Cult)〉

坂本慎太郎プロフィール(zelone records)

Shintaro Sakamoto Profile(Other Music Recording)

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愛と含羞の深夜ラジオ[高橋聡太 -2-] https://www.fivedme.org/2014/07/18/%e6%84%9b%e3%81%a8%e5%90%ab%e7%be%9e%e3%81%ae%e6%b7%b1%e5%a4%9c%e3%83%a9%e3%82%b8%e3%82%aa-love-and-literacy-of-midnight-radio/ Fri, 18 Jul 2014 03:05:00 +0000 https://www.fivedme.org/2014/07/18/%e6%84%9b%e3%81%a8%e5%90%ab%e7%be%9e%e3%81%ae%e6%b7%b1%e5%a4%9c%e3%83%a9%e3%82%b8%e3%82%aa-love-and-literacy-of-midnight-radio/ 愛と含羞の深夜ラジオ
Love and Literacy of Midnight Radio Listeners

高橋聡太 Sota Takahashi

そわそわしながらAMラジオのスイッチを入れる。すぐに時報が深夜1時を知らせ、パーソナリティのタイトルコールとともにトーク番組が始まった。最も楽しみにしているつかみのおしゃべりも今回ばかりは上の空に聞こえ、番組が着々と進行するにつれて緊張が募っていく。なにしろこの放送では数日前に投稿した自分のエピソードが読まれるかもしれないのだ。もちろん箸にも棒にもひっかからずに肩を落とすことも多いが、パーソナリティの痛快な話芸により自分の言葉が血肉を得る瞬間の興奮は、他の何にもかえがたいものだ。この緊張があるからこそ、日本の深夜ラジオはマイナーながらも根強い支持を得てきた。

TBSラジオで火曜深夜1時から放送されている『爆笑問題カーボーイ』はその一例である。1997年の放送開始以来さまざまな名物企画を生み出し、AM各局の数あるトーク・バラエティのなかで最も投稿コーナーに定評がある番組として親しまれている。この番組の2014年4月29日の放送分で、ちょっとした事件が起きた。あるリスナーがネット上にアーカイヴした過去の投稿の一部が、そのまま番組内で再び採用されてしまったのだ。サイトの管理者によると、それ以前からアーカイヴされた古い投稿が番組で読まれており、引用元を確かめるために管理者がネタのダミーを新たに考案して紛れ込ませたところ、それがそっくり番組内で読まれて盗用を確信したという。

この些細な一件は、現代のメディアによって組み替えられた、古くて新しい深夜ラジオ文化の重層性を端的に示している。主な投稿手段が郵便だった時代は過ぎ去り、常連リスナーは今なお「ハガキ職人」と呼ばれてはいるものの、その大半が電子メールでネタを送っている。また、つい数時間前の放送をデジタル録音したものが、数十年前のカセットテープから変換された音源と並んでYouTubeなどにアップされており、ラジオの参照体系も様変わりした。こうした状況下で、古いネタのコピー&ペーストが起こるのは必然と言えなくもない。それと同時に膨大なアーカイヴを渉猟して引用元を確認する方法が発達し、剽窃を可視化することも容易になった。

ただし、「コピペ」によってルール違反を犯す人々の動機自体は、とりたてて新しいものではないことも強調しておくべきだろう。SNS上で「いいね!」や「RT」の数が積み重なる快感だけを求めて、参照元を明記せずに剽窃を繰り返す感覚は、デジタル時代特有のものとして安易に括られがちである。しかし、又聞きしたエピソードを「友だちから聞いた話なんだけど」と典拠を曖昧にして披露した前科は誰にだってあるはずだ(たびたび引っ張り出される「友だち」は、有史以来最も被引用度の高い「原著者」かもしれない)。出処が他者であろうと、自分の口をついた言葉が波及していく経験は蠱惑的なものだ。典拠なきコピペはその際に「自分こそが作者である」という錯覚を起こすための手段にすぎないのかもしれない。

だが、結局のところ剽窃はインスタントな快楽をもたらすことはあっても、深夜ラジオならではの得も言われぬ感慨を生むことはないだろう。なぜなら、そこには何の恥じらいもないからである。深夜ラジオの本質は、あきれるほどくだらないギャグや、ふだん周囲の人々に話せないような私的すぎる体験談を、パーソナリティと他のリスナーに委ねる信頼関係にある。おのれを晒す覚悟もなく、借りてきた言葉がただ読まれたか読まれないかで一喜一憂する剽窃者とは次元が違うのだ。他にはけ口のない含羞や自意識の受け皿となっているがゆえに投稿文化は今も生き続けているのであり、読まれたかどうかはあくまで結果の一つでしかない。だからこそ、深夜ラジオのリスナーは今夜も祈るようにして自分のラジオネームが呼ばれるのを待ち続ける。

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