STS – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org Wed, 17 Mar 2021 05:24:13 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.6.10 https://www.fivedme.org/wp/wp-content/uploads/2020/09/cropped-5dme-32x32.png STS – 5: Designing Media Ecology https://www.fivedme.org 32 32 科学家のテラス 17[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/07/16/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-17-reflections-from-an-amateur-scientist/ Sun, 15 Jul 2018 19:03:57 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/16/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-17-reflections-from-an-amateur-scientist/

科学家のテラス 17
Reflections from an Amateur Scientist 17

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼こういうの、すげえ面白いじゃん
「何の優先順位?」私は問うた。
「もちろん、志望する役所だべ」友人Xは答えた。
「同時並行で回れないの?」
「まあ、そこは色々とルールがあるからな」
「へー、どんな?」
「結局、拘束をかけるわけ。他にとられないように」
「そういうところは、普通の就職活動と同じだね」
「でもおまえの場合は、あまり関係ねぇな。理系だから」
「理系?」
「そう、技官だから。技官で本格的に行政をやれる役所は限られてるからよぉ。だから、」
「あ、前、言っていた……」
「そう、科技庁」
「科学技術庁★1って、名前はみんな知ってるけど、どんな役所だっけ?」
「これを見ろよ」

Xは、科学技術庁のパンフレットを鞄から取り出した。それは私のところには送られてこなかったから、見るのは初めてだった。
宇宙開発、海洋開発、そして、原子力。当時は、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きてから数年しか経っていなかった。私は、そのことについてはっきりとした考えを持っていたわけではない。しかし、政治的に対立している問題だということくらいは、もちろん知っていた。そして何よりも、経済学者の伯父★2が、昔から、原子力発電はリスクが大きいからやめるべきだ、ということを公に主張していたことがひっかかった。心の中が、ざわっとした。

「原子力は結局……どうなんだろうね」
Xは少し考えてから、口を開いた。

「役人はさぁ、色々な仕事をするわけよ。毎年のように人事異動もある。他の役所に出向することもあれば、海外赴任も普通のことだ。まあ、原子力もやらされるだろうが、そればっかりってことは、ねえよ」
正直、私は釈然としなかった。とはいえ、そのことが気になって前に進めない、というほどのきまじめさは、持ち合わせていなかった。
「とにかく、科技庁にしとけよ。間違いねえから」

その後も、私たちは短い間に何度か「作戦会議」を開いたが、徐々に「若手官僚の政策放談」のような雰囲気になっていった。なにしろ彼はとても分析力が高く、日本が抱えるさまざまな問題点をかなり正確に把握していたからだ。対する私はただの理系の学生だったわけだが、元々政治や思想にも関心があったので、「現役若手官僚」と日本の未来をあれこれ語るのは、否定しようもなく、エキサイティングな時間だった★3。

回を重ねるごとに、明らかに私の心は変容していった――こういうの、すげえ面白いじゃん。こうして、役人になることが天職だと思い込んだ私は、慣れないスーツに身を包み、まっすぐに科技庁に向かった……わけではない。

本連載のこれまでのストーリーをちょっと思い出して欲しい。何しろ私は、まさにその頃、大学のラボでは、アルメニア人研究者のAさんとの研究に急速にのめり込んでいったのだから★4。

まったく、私は、本当は何がしたかったのだろう。自分のことなのだが、当時の気分がどうにも思い出せない。
ただ少なくとも、あの頃の私は、好奇心が服を着て歩いているような有様だったと思う。ゴムボールが、面白そうな方に向かって、ぴょんぴょんと転がっていくような。

というわけで、最初の「波乱」は、何度目かの作戦会議の後だったと思う。
それは一本の電話だった。(つづく)

Endnote:
1 1956年、科学技術庁設置法に基づき、総理府の外局として設置された中央官庁。日本の科学技術を総合的に調整・振興する役割を担っていた。いわゆる「ビッグサイエンス」を国策として推進したが、元々、総理府原子力局から発展したこともあり、特に日本の原子力政策を中心的に推し進めた官庁としても知られる。また、長年にわたる技官の地位向上運動も、その発足への力になったと言われる。しかし1995年に起こった高速増殖炉「もんじゅ」の事故の影響などもあり、橋本内閣の省庁再編では文部省と併合して「文部科学省」となり、この時に原子力関連の部局のほとんどは旧通産省系の官庁に移管された。

★2 神里公(かみさといさお、1933~1996)。元・東洋大学教授。専攻は環境経済学。エネルギーや資源の問題におけるエントロピー論に取り組み、異色の経済学者ジョージェスク=レーゲンの紹介者としても知られる。

★3 今考えると、この頃に私たちが議論していた内容は、その後やってくる平成時代の日本の数々の挫折を、ある意味で予見していたようにも思う。「そんなわけないだろう!」と思われるかもしれないが、案外、しがらみや偏見のない若造の目のほうが、問題の本質を捉えやすいということはあると思う。「王様は、はだかだ!」と叫んだのが、子供だったように。

★4 「科学家のテラス6」、「同7」、「同8」、「同9」、「同10」を参照のこと。

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科学家のテラス 16[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/07/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-16-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2018/07/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-16-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Sat, 14 Jul 2018 18:13:53 +0000 https://www.fivedme.org/2018/07/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-16-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 16
Reflections from an Amateur Scientist 16

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼カミサトくん、官庁訪問の対策を練る
「次は官庁訪問だ!」

1990年代初頭のこと。私の「公務員試験受験プロジェクト」に、友人Xはとてつもなく前のめりだった。なんで他人の就職活動にこんなに関心があるんだろう、と不思議に思ったものだ。とはいえ、まあ国家の中枢「カスミガセキ」は謎のゾーンだし、なんとなく興味はあった。だから、とりあえずはこの流れに任せてみるか、と私は考えたのだ。実に安直★1だった。

まずは各省庁の資料を集めるところから始めるか、などと思っていると、ほどなく向こうから勝手に資料が送られてきた★2。繰り返しになるが、私は元々、役所勤めを目指していたわけではなく、試験を受けはしたものの、その先についてはほとんど考えていなかった。つくづく、実に安直だ。

しかし人間とは不思議なもので、そうやって色々な役所の綺麗なパンフレットを眺めていると、「世の中には色々な仕事があるもんだなあ」「自分だったらどこの役所が合うかな」などと考え始めていた。

「俺、本気になってる?」そんな自分に、一番自分が驚いた。
ともかくXは「作戦会議」をすると言っているから、事前に予習しておかないと格好がつかない。私は送られてきた資料の気になるところにいくつか付箋を貼り、再び都内某所で彼と待ち合わせた。

その日、彼は、やや不機嫌そうな顔でやってきた。
「でよぉ、オマエさ、少しは官庁訪問のやり方、知ってんのか?」と、のたまふ。
「いや、全く何も!」私は答えた。
「なんだよぉ、ちっとは準備しとけよぉ。まあいいや、俺が全部教えてやるから」

なんだよは、こっちの台詞、おまえが強く強く勧めたからこういうことになったという面もあるわけで……などと無責任な言葉が口から出そうになったが、私はそれを呑み込んだ。

「で、どうすんの?」
「まあ、きちっとスーツ着てよ、就職活動すんだよ。普通に役所に行って、受付の人に『官庁訪問に来ましたぁ』って言えばどうするか教えてくれるべ」
「何か持っていくものとか、ないの?」
「特にいらねぇな。最初に人事の担当者がプロセスを簡単に説明してくれる。あとは待合室で待機していると順番に呼ばれて、『○○局△△課の××係長に会いに行ってください』とか言われるぞ。で、その人と話をする。普通に面接だ。これを繰り返していく」

「それ、何人くらい会うの?」
「役所によるんじゃねぇか。まあ最初は若い人から、係長とか、そういう人と話をする。だんだんと相手の役職が上がっていく。途中で、『次は何日の何時に来て欲しい』とか言われたら、その日は解散」
「ふーん。どうなったら合格なの?」
「一種の双六★3みたいなものだからよぉ、途中で次回の約束の話がなくなったら、ゲームオーバーだべ。まあ、後で呼ばれることもあるんだけど、だいたいはないかな。最後には、『一緒に仕事をしていきたいと私たちは考えてます』とか言われるんじゃねぇか。普通の就職活動★4の内々定と同じ。口約束だべ」
「となると、その面接が重要だね。」
「そりゃそーよ。ただその前にもっと重要なのは」
「重要なのは?」 (つづく)

Endnote:
1 元々の意味は、「値段が安いこと」。転じて、十分に考えず、また手間をかけない様子を意味する。ただし、「何が安直か」は、時代の雰囲気に左右されるようにも思う。そもそも当時は、物事をできるだけ簡単に、手間をかけず、しかし結果を出すことが最も優れたことだという価値観が横溢していた。それは確かに「バブル」という時代の空気だったとは思う。日本社会が「勤勉」という価値観を信じなくなったのは、おそらくあの頃からだろう。

★2 記憶の限り、ずいぶん沢山の資料が送られてきたように思う。最近はどうなっているのだろう。また、私の受験した試験区分は「化学」だったので、科学や技術に関係のある役所から来るのは理解できたが、一見、関係のない「K庁」や「O省」からも資料が来たのには驚いた。

★3 「双六」には、二人で対戦するボードゲームの「盤双六」と、紙に描かれた経路を順に進んでいく「絵双六」があった。前者は古代バビロニアの時代にすでに存在したとされ、さまざまな派生ゲームに枝分かれして世界中に広がった。現在では「バックギャモン」として知られている。一方、サイコロの出た目の数だけステップを進めていき、早くゴールに到達した者を勝者とする「絵双六」が、現在の日本ではおおむね「すごろく」として認知されている。日本ではなぜか同じ「すごろく」と呼ばれていた二つのゲームは、海外ではそれぞれ別の名が与えられ、区別されてきた。日本でも有名な「人生ゲーム(The Game of Life)」は、19世紀半ばに米国で開発された「絵双六」の一種である。

★4 現在では「シュウカツ」と呼び習わされている就職活動だが、1990年代の初頭は、まだこの省略形は使われていなかった。当時は、PCや携帯電話は普及していなかったし、インターネットも全く一般的ではなかった。そのため就職活動は「紙ベース」+「電話」で進めるのが普通であり、アプライできる企業の数は自ずと限られた。一般に、学生一人あたりの就職活動に費やす時間は、労働市況の影響を受けるだろう。とりわけ「就職氷河期」と言われた時期は、エントリーする学生も、対応する企業も互いに「無駄骨・無駄足」が多く、共に大いに消耗した。結局、「シュウカツ支援テクノロジー」の発達こそが、学生の「就活の時間」の膨張を生んだ主因ではないかという気がしてくるが、真相はいかに。

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科学家のテラス 15[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Mon, 19 Mar 2018 21:07:54 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/20/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-15-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 15
Reflections from an Amateur Scientist 15

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼「公僕なんぞ」に… すべてはバブルのせい?
前回は、八重洲ブックセンターで公務員試験の問題集を買ったところまで、であった。すでに本連載で述べてきたように、私はその後、研究室で基礎的な研究のトレーニングを受けつつ、その合間を縫って公務員試験の勉強をした。忙しかったはずだが、不思議と大変だった記憶はない。

ただし当時、「公務員を目指す」というのは、現在とはかなり違う受け止められ方をしていた、ということは確認しておきたい。というのも、本連載9「そしてエスニックな大食事会」の巻でも触れたが、この時期はかの有名な「バブル」に当たっていたからだ。

最近では、バブルという時代そのものが「ネタ化★1」しているが、ともかく「ぼーっとしていると就職してしまう」というような異様な状況であった。民間企業は業績が良いところが多かったが、とりわけ金融・不動産系は我が世の春を謳歌していたから、「XX銀行★2に入れば生涯賃金ウン億だぞ」などと真顔で語る同級生も出現する始末であった。

だから私のような理工系の学生でも、銀行や証券会社などに就職する者は少なくなかったし、正直、「この企業の採用担当者は阿呆なのか?」と思うほど、どこの企業もありとあらゆる手段を使って学生集めに躍起になっていた。

そういう「就職楽勝」の時代に、わざわざ「2度も試験を受けて」「給料の安い」「公僕なんぞ」になろうというのである。さらに自分の場合は理系であって、せっかく数学や物理などの「難しい」勉強をしてきたのに、毎日実験で夜遅くまで研究室に縛られてきたのに、それらの努力を全部反故にして、「文系でも」入れるようなところに就職するのか!?、というような、ポリティカリーにコレクト★3でない言い回しで、批判なさった先輩もいたように記憶している。

そんな否定的な意見もあったわけだが、当時の私の気分は「ちょっとした保険」くらいのもので、要するに信念がないぶん、批判の声も軽く受け流していたのだと思う。

なんと不真面目なことか。若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、もし今、そんな若者が目の前に現れたら私は、もっと人生をマジメに考えろと、叱り飛ばすだろう。いや、今の若者は驚異的な低成長時代に育っているから、誰もがもっと地に足が着いているか。だから私たちの世代は「バブル世代★4」などという不名誉なレッテルを貼られたのだろうか。

そういうわけで、実にふわっとした気分で受けた公務員試験であったが、私は特に難もなく、一次試験をパスした。いや、正確に言えば、試験の詳細もよく覚えていないのだ。流石に法律職や経済職の公務員試験ではこうはいかないだろうが、自分の受けてきた全ての試験の中で、もっとも手応えが少なかったのが公務員試験であった。人生の七不思議である。

早速、友人Xから電話があり、私が合格を伝えると彼は興奮して言った。「次はカンチョー訪問だべ。作戦会議やるぞ。資料、集めといてやるからな!」

カンチョー? 私は全く未知の世界に、引きずり込まれようとしていた。(つづく)

Endnote:
1 「ネタ」は、「種(たね)」を逆さにした言葉で、落語や漫才、コントなどのお笑いの脚本・台本のことを指す。1回のセッションで実演されるストーリーをひとまとまりの単位として、「1本、2本」という数詞でかぞえられる。特定の職業や人物、組織、地域や時代などをデフォルメしてストーリーの基軸とすることも多く、その場合はしばしば連作の形態をとる。例えば、刑事と犯人のコントの場合は「刑事ネタ」と呼ばれるわけだが、近年、「バブル時代」を題材としたコント等が散見されるようになった。歴史的に対象化されるほど、遠い過去になったということの証左かもしれない。また「忘れられた」ということは、新たなバブルの発生・崩壊がやってくる予兆でもある。

★2 ご承知の通り、多数存在した都市銀行や長期信用銀行はその後、いくつかが破綻して消滅し、また合併・吸収が繰り返され、現在の姿となった。個人的には、「常識」というものがいかに儚いものか、また、理屈に合わないことは滅びるものだ、ということを学ぶ機会になった。

★3 politically correctあるいはpolitical correctness、PCとも略される。伝統的にアメリカの政治・文化が、「WASP(白人のアングロサクソンで宗教的にプロテスタントのキリスト教徒)の男性」の価値観を基軸に構築されてきたということへの反省から、宗教・人種・信条・性別等におけるマイノリティの立場を尊重し、「政治的に妥当」なものに改めることを目指す姿勢のことである。近年では、その対象が動物や環境など、人間を超えた存在にも広がってきている。一方で、これを単なる「差別用語禁止運動」として、表現の自由を抑圧する行為と捉える者もおり、論争が絶えない。日本でも最近は、この種の問題が左右両側から「炎上」することが増えてきているが、自由とは、平等とは何かという、近代の本質にもつながる、なかなか難しいテーマでもある。

★4 一般に、いわゆるバブル期に就職が内定した世代のことを指す。なぜか、バブルという時代の性質が内面化されているとされ、「見栄っ張りで世渡り上手」などと評されることも多い。しかし当然ながら、学歴によって就職年齢は異なるので、年齢で世代を定義するのは難しい。またそもそも、20世紀後半の日本のバブルというものが、主として金融・不動産業の過度な好況から始まった現象であることを考えれば、そのような、日本のごく一部の企業の被雇用者のメンタリティが、世代全体を規定したと推定するのは妄想としか言いようがない。実際、この世代が就職してすぐにバブルは崩壊し、長い低成長の時代がやってくる。その間に新規採用が著しく抑制された結果、「バブル世代」には長期にわたって部下が非常に少なく、組織の下支えをする役回りを長い間、担わされた。むしろ「永久ヒラ社員世代」とでも呼ぶべきだろう。一方で、バブル時代に現実に交際費等をふんだんに使い、計画性のない愚かな投資を続けて日本経済を破綻させたのは、世代的には、当時すでに企業人として決定権を持っていた「昭和ヒトケタ」や「団塊」など、かなり上の世代である。少なくとも、バブルという時代に対する責任は、どう考えても、いわゆる「バブル世代」には存在しない。

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科学家のテラス 14[神里達博] https://www.fivedme.org/2018/03/05/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-14-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2018/03/05/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-14-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Mon, 05 Mar 2018 00:17:08 +0000 https://www.fivedme.org/2018/03/05/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-14-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 14
Reflections from an Amateur Scientist 14

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼公務員試験は「具体的」で「明確」だった
人は、何らかの理由で「具体的に考えること」ができなくなった時、窮地に陥るものだ。そういう状態にある人は、まずもって何が障害になっているのかがよく分からず、解決すべき問題が見えなくなっていることも多い。逆に、大抵の困難は、目に見えて、手触りを感じられるような、具体的な案件に落とし込むことさえできれば、もう半分以上は解決している。

私を役人の道に誘った友人「X」に、シャーマニズム的な雰囲気があったことは前回述べたが、同時に何事も「具体的に考えること」を好む、という性質も具備していた。だからまず、私に公務員試験の問題を見せることで「これは何とかなるかも」という手応えを実感させようと思ったようだ。気づけば私は、東京駅の正面にある「八重洲ブックセンター★1」の中の、公務員試験・参考書売り場に連行されていたのである。

「おお、見てみろよ。こんなのだったらさぁ、おまえならどうにかなるべ」

「こういう問題なんだね。はじめて見た」

「そうだよ、ほらおまえさあ、教養ってゆうかよぉ、昔から雑学のカタマリじゃん、ぜってぇすぐ、イケるべ」

当時の理系の公務員試験は、大きく「教養」と「専門」★2に分かれていたが、前者は、現在の「センター試験」、当時の「共通一次」に似たようなラインナップであり、あまり文系と理系の偏りがなかった私にとっては、比較的得意なスタイルであった。

「ほらほら。チャンスは活かそう。とりあえず、このあたり買っていけばいいんじゃねぇの?」

しかしこうして思い返してみると、およそ学生時代の「筆記試験★3」のたぐいは、徹頭徹尾、「具体的な課題」そのものだと、あらためて思う。若い頃に試験に苦しめられた人は多いだろう。しかし、大人になってから遭遇する問題の厄介さに比べれば、なんと単純なものか。

そもそもペーパー・テストというものには正解が存在し、また選抜試験の場合は「人間を数値化し、順に並べること」が目的だから、間違っても「びっくりさせてやろう」とか、「自分の無力を思い知らせてやろう」とか、「こいつらを騙して身ぐるみ剥がそう」などというような、「悪質な動機」を疑う必要はない。なんと平和な世界。「試験に強くても、社会に出て役に立たない奴は多いよ」、などと言われ続けるのも、むべなるかな。

というわけで、私はあっさりと友人Xの思いつきに巻き込まれ、こともあろうに公務員試験を受けてみるかと思ってしまった。急な出費は辛かったが、久しぶりに現れた「明確な目標」に、少しわくわくする自分がいた。

しかし、「解けそうだから受けてみるか」という浅薄な動機で始まったこのプランは、結果的に私の人生を大きく変えていくことになる。そしてもしあの日、公務員試験の「過去問集」を買っていなかったら、私が「科学家」を標榜することもなかったのだが、そのあたりの事情は、また追々。(つづく)

Endnote:
1 「鹿島中興の祖」といわれる鹿島建設の元会長、鹿島守之助(1896-1975)が建てた大型書店。現在は首都圏を中心に約10店舗を展開する書店チェーンとなっている。守之助は、帝大卒業後、まず外交官として出発したが、鹿島家に才能を見込まれて婿養子に入り、戦前戦後を通じて政治家かつ企業経営者として活躍した。同時に彼は文化事業にも関心が深く、自身も国際問題の研究をしており、国際法学会理事、日本国際問題研究所会長などを歴任している。そんな彼は晩年、「わが国で出版されたすべての本を常備する世界一の書店」を夢見て、鹿島建設旧本社跡地に開設を決定、1975年に起工式にこぎつけたが、完成を見ることなく、その半年後に世を去った。1978年9月に竣工した同書店は、地下1階から地上5階の店舗に100万冊の本が集められ、我が国の大型書店の先駆的存在となった。

★2 中世ヨーロッパの大学では、三学(文法学・修辞学・論理学)ならびに四科(算術・幾何・天文学・音楽)の基礎的な科目を履修した上で、医学・法学・神学といったプロフェッショナルになるための知識を学ぶという仕組みができた。このうち三学四科は「自由七科」あるいは「リベラル・アーツ」と呼ばれるが、元々はギリシャ時代の都市国家において自由市民、つまり「奴隷ではない人」として生きるために必要な、基本的かつ共通の知識という概念に淵源がある。日本の大学などでも、これらは「教養課程」と「専門課程」という形で継承されていたが、前世紀後半から、教養課程の縮小や、それらを担当する「教養部」の解体が進んだ。しかし最近では、これが知の分断を加速し、タコツボ化を進めてしまったという反省もあり、新しいタイプの教養教育を再構築しようという動きもある。

★3 筆記試験といえば、「科挙」を連想する人も多いだろう。5世紀の終わりに中国で始まったこの官僚任用試験は、世界最古の試験である。一方西欧では、1219年にボローニャ大学で行われた法学部の試験が最も古いという。しかし科挙が筆記試験であったのに対して、こちらは口頭試験であった。科学史家の中山茂は、そこに「書かれた文化」と「話す文化」の違いがあると指摘している。日本での最古の試験は、8世紀初頭に科挙を真似て作られた「貢挙(くご)の制」というものが知られている。しかし中国の科挙が実質的な官僚任用制度として機能していたのに対し、日本のそれは形式的なものにとどまり、実質的には能力よりも家柄が優先される、世襲制が明治維新まで続いたのである。

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科学家のテラス 13[神里達博] https://www.fivedme.org/2017/06/02/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-13-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2017/06/02/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-13-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Fri, 02 Jun 2017 05:21:57 +0000 https://www.fivedme.org/2017/06/02/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-13-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 13
Reflections from an Amateur Scientist 13

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼イタコのお告げ
友人「X」が唐突に言い放った、「役人になれよ」の言葉に、私は虚を衝かれた。

昔からXは、「ちょっとおかしなこと」を言う男だった。きわめて思考力が高いはずなのに、妙に貧弱な語彙で一方的にまくしたてる独特の話法も手伝って、彼の話はなんだか荒唐無稽に聞こえたものだ。

だが、少し時を置いて冷静に考えてみると、彼の言葉は、事態に対してちょっと視点を変えることで、まさにブレークスルーをもたらすようなものが多かった。要するに「意外に役立つアドバイス」だったのだ。そのことに気づいている人もいて、彼の前でなにげなく自分の抱えている問題を披露したりすることがあった。そうすると彼は、虫★1の居所が悪くなければ、頼んでもいないのに即座に解決策を出してくる。だが、それは決して「相談」とか「議論」といったものではない。あたかも、彼の体の中に突如生じたマグマ★2が吐き出されるがごとく、時には暴力的なまでに、彼の信じるところの「正しい判断」が一方的に開陳されるのである。

私は後にも先にも彼のような人物に出会ったことがないが、今思えば、あれは一種の「イタコの口寄せ」のような現象、つまりシャーマン★3的な人格だと理解すべきだったのかもしれない。

そういうわけで、あの銀座ナインの店に戻ろう。

「なに言ってんだよ、俺は理系だから関係ないだろ、霞が関は」 私は、すぐに返した。

すると彼はすぐにしゃべり始める。「関係なくねぇよ、おめぇわかってねぇなあ、霞が関には理系出身の官僚がたくさん働いてるぞ。建設省、農水省、通産省、郵政省、結構いっぱいいてよぉ、やってることは文系出身とおんなじだ」

「でも理系じゃ法律とか経済政策とかわからないだろ?」

「そうでもねぇよ。オン・ザ・ジョブ・トレーニングってやつだろうな。みんな予算とか国会対応とか、全部やってるぞ」

「それ、理系でも”キャリア”っていうの?」

「国家I種受かってりゃ、同じだべ。だから課長級くらいまではだいたい行くんじゃねぇのか?ただ、そっから先は技官でも行けるポストとそうじゃないのとが、ある。役所によっても違うだろうな」

「へー、そういうもんなんだ……」

「まあ技官出身だとトップまではなれねぇかな。あ、でもよぉ、一つだけ理系でも事務次官になれる変わった役所があるぞ」

「それどこ?」

「カガクギジュツチョーだ。そうか……これで決まりだな。おめぇ公務員試験の準備始めろよ。試験は5月だから、もう時間ねぇぞ。そうだ、今ならギリギリ本屋も開いてるからよぉ、このまま問題集買いにいこうぜ。俺がちゃんと選んでやるから安心しろよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、そもそも俺は役人になるなんて言ってないぞ!」

「なに言ってんだ、可能性は広げておいて損はないぞ……あ、すみません、お勘定、お願いしまーす!」

なんだかよくわからないまま、私は彼に引っ張られ、気づくと夜の新橋駅に向かっていた。(つづく)

Endnote:
1 「虫が好かない」「虫の知らせ」など、「虫」を使う慣用句は多い。その「虫」の正体は何なのか。実は、道教に由来する「三尸(さんし)の虫」のことである。この虫は普段、人体の各所に潜んでその人物を監視しているが、60日に一度の「庚申(かのえさる)」の夜、寝ている間に身体から抜け出し、「天帝」にその者の行状を逐一報告すると信じられていた。余計なことを神様に通報されてはたまらないと考えた人々は、「庚申講」と呼ばれるグループを作り、その夜に集まって徹夜をし、三尸が身体から抜け出さないように対策を打ったという。

★2 地下に存在する、溶融ないし半溶融した岩石や揮発性物質の混合物。地球以外の岩石惑星や衛星にも存在することが予想されている。火山の地下には「マグマだまり」と呼ばれる滞留域があり、なんらかの理由でそこからマグマが吹き出す現象が噴火である。そこから転じて、蓄積した不平不満や、危険な要素や動きのことを表現する言葉として使われる場合もある。ちなみに手塚治虫(1928-89)は「マグマ大使」(1965-67)という作品を描いている。これは、地球を侵略しようとする宇宙の帝王「ゴア」と戦うため、地球自身が「ロケット人間」なるマグマ大使を生み出した、という一風変わった設定であった。そこにはガイア理論的な発想が見てとれるだろう。また「人間もどき」という一種のエイリアンも登場することで知られている。

★3 トランス状態に入ることで超自然的な存在と交流する役割を担った者。世界各地に見られる。邪馬台国女王の卑弥呼が行ったとされる「鬼道」も、シャーマニズム的行為であったと言われている。さまざまな宗教と深く関わりを持つ。

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科学家のテラス 12[神里達博] https://www.fivedme.org/2017/05/11/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-12-reflections-from-an-amateur-scientist/ https://www.fivedme.org/2017/05/11/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-12-reflections-from-an-amateur-scientist/#respond Wed, 10 May 2017 21:09:29 +0000 https://www.fivedme.org/2017/05/11/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-12-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 12
Reflections from an Amateur Scientist 12

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼進路に悩むカミサト君、銀座ナインへ
前回は、当方の記憶違いで言及するのを忘れていた重要なエピソード、「研究室の未来に暗雲が立ちこめていることを先輩にこっそり聞かされるの巻」を、時間を遡って挿入させていただいた。

すでに本連載で述べてきたとおり、時系列的にはその後に、ロシアからやってきた「A氏」と私の交流が盛んになっていく。研究室に残っても今の研究が続けられる可能性は低いらしいということを、私は薄々知りながらも、研究自体は面白くなっていったのだ。そうこうしているうちに、将来どうするのか、考えなければいけない時期がやってきた(正確には、他にも色々なことがあったのだが、話を進めるために思い切って割愛する)。

そんな時、一足先に就職した友人「X」から、使い始めたばかりの電子メール★1が来た。飯でもどうか、と。彼はその春から中央官庁のキャリア組★2になったばかりだった。

私は彼の指定した場所に赴いた。たしか「銀座ナイン★3」の中の店だったと思う。彼はもう店の中に居て、人懐っこい笑顔で手招きした。サラリーマンやOLでごったがえすその店に、学生の自分が入っていくのはちょっと気が引けたが、ともかく、久しぶりに「悪友」に会うのは心が弾む。酒が弱い私も、まずは乾杯。彼は非常におしゃべりな男で、しかも、始まったばかりの「宮仕え」にとてもストレスを感じていたらしく、ビールをごくんと飲み干すと、立て板に水のごとくしゃべり出した。

「役所ってところはよぉ、とにかくつまんねぇことに時間ばっかかけんだよ。もう、かったりぃからよぉ・・・・・・」
延々、散々、職場への不満を言う。あまりにも長いので、「そんな職場なら辞めればいいじゃん」と私が言うと、今度は真逆のことを言い始める。「いや、でもよぉ、やっぱ冷静に考えると、やりがいのある仕事かもな。たとえばよぉ・・・・・・」

彼のしゃべり方は、実は神奈川県の方言である。元SMAP★4の中居君のしゃべり方とよく似ている、と言えばわかりやすいかもしれない。

一時間くらいが経っただろうか、彼の独演会を聞かされることに、そろそろ私の身体も限界がきていた。さすがに彼もしゃべり疲れたらしく、少し間があく瞬間があった。そこに私は間髪を入れずに、自分の話を滑り込ませた。「いやさ、俺も将来、どうしようかなと思って。今は研究が面白いんだけど、どうもウチの研究室では同じテーマを続けられないらしいんだよね」
すると彼は、急に驚くべきことを言い出した。

「だったらよぉ、おめぇも役人になれよ。おめぇなら絶対、いけるべ」 (つづく)

Endnote:
1 電子的なファイルにより、遠隔地の人に情報を伝える仕組みのこと。初期の大型コンピュータで類似の機能を実装する場合もあったが、1976年に開発された、直接つながっていないUNIXシステム間でファイルのやりとりを可能にするUUCP(Unix to Unix CoPy)プロトコルこそが、現在使われているメールの直接の先祖と言える。これが学術ネットワークであるUSENETを経て、”the Internet”上でのメールへと展開していった。現在使われているさまざまなネットワーク上のサービスの中で、最も早くから運用されてきたものの一つがメール・サービスである。またインターネットが一般利用される以前から、アメリカのCompu-Serve、日本ではPC-VANやNIFTY-Serveなどの事業者が「パソコン通信」の事業を行っており、そのような閉鎖型ネットワークの中で、一般の人々も電子メールを使っていた。

★2 一般に、国家公務員採用総合職試験(かつての国家公務員上級職採用甲種試験、ないし国家公務員採用Ⅰ種試験)に合格した上で、中央官庁に入庁した者を指す言葉。特に、「法律」「経済」「行政」という「文系」の試験区分で合格した上で、幹部候補として入庁した者がそう呼ばれることが多い。広く知られているように、他の職員と比べて昇進の速度が速く、広範囲の部署を異動し、また実際に各省庁の幹部の多くを占めている。このキャリア制度は、明治政府によって始められた「高等文官試験」にルーツがあり、当初は出身派閥や身分と関係なく、広く優秀な人材を集めるための仕組みであったが、人事の硬直化や、天下りの弊害などを招く原因である、との批判も以前から根強い。

★3 東京都中央区銀座8丁目に位置し、飲食・衣料・宝飾など数十店舗からなるショッピングセンター。首都高速都心環状線の汐留/京橋の間をバイパスする形でつながっている、「東京高速道路(会社線)」の高架下にある。ちょうど銀座と新橋の境目に当たるが、実際には存在しない「銀座9丁目」という意味で「ナイン」と名付けられた。ちなみにこの「東京高速道路」は、その非常にダイレクトな名称や、銀座を囲む結界のごとき構造性、また首都高と分かちがたく結合しながらも、飽くまで自主・独立を保つ強い意志など、その神秘的なまでの存在感に対して一部に熱狂的なファンが存在する(著者調べ)一方で、「別に首都高と一緒でいいんじゃね?」「そもそもなんのためにあるのか」といった心ない陰口をたたく者もいるという。しかし実は、1959年にすでに営業を開始しており、なんと首都高速よりも歴史は古い。また、この「銀座ナイン」などのテナント料で道路を維持管理しており、この区間の道路通行料は無料であることから、「PFI(Private Finance Initiative)」の先駆けと考えることも可能であろう。首都高都心環状線を利用する機会があったならば、是非、「会社線」を通ることをお薦めしたい。

★4 1988年から2016年まで存在した、男性アイドルグループ。芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」の社長、ジャニー喜多川(1931-)が、”Sports Music Assemble People”の頭文字をつないで命名。「下手なホラーよりも恐ろしい」などと評された生放送の「謝罪会見」を経た後、解散した。

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科学家のテラス 11[神里達博] https://www.fivedme.org/2016/11/12/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-11-reflections-from-an-amateur-scientist/ Fri, 11 Nov 2016 21:04:13 +0000 https://www.fivedme.org/2016/11/12/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-11-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 11
Reflections from an Amateur Scientist 11

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

「大人の事情」と研究継続の行方
人間とは不思議なもので、しばしば、相反する気分を同時に抱えながら生きている。この連載を書くことで、私は当時の矛盾★1した気分と、四半世紀ぶりに向き合うことになってしまった。

そういうわけで、前回予告していた、「事件」である。重要なできごとは、いつだって突然やってくる。まだ記憶がはっきりしないのだが、それは少なくともアルメニア人研究者のA氏が来るよりもかなり前のことだった。ある日、私は同じ学科の友人とピロティー★2でどうでもいい話をしていた。するとそこに、研究室の先輩がやってきて言った。「カミサト君、ちょっと話しておきたいことがあるんだけど」。それまで私はこの先輩とほとんど話をしたことがなかった。

「なんでしょうか?」「ああ、ちょっと、こっちで」

彼は人があまりいないところに私を引っ張っていった。そして、一呼吸おいて、話を始めた。

「ごめんね。あのさ、ウチの研究室が今後どうなるか、知ってる?」「いえ。何かあったんですか?」「まず、いずれ教授が定年になるのは、知ってるよね」「はい」「そうすると、どうなるか分かる?」「誰かが後継の教授になるんですかね?」「まあそうだけれど、その時に、ここの研究テーマは大きく変わることになると思う」「そうなんですか?」「そう。だから、今の研究を続けられる人と、そうでない人がでてくる。カミサト君は、コンピュータ・シミュレーションとか、生物物理★3みたいなことをやりたいの?」「はい。今やっているようなことが面白くて」「そうですか。いや、残念だけどね、そういうのは、続けられそうにない、と思う」「えっ! でも教授はそんなことは、言ってませんでしたが」「そうかもしれない。なんというのかな……」

そう言ってこの先輩はかなり詳細に、この研究室に関する「大人の事情」を説明してくれた。当時の私はまだ、アカデミズムというのは、やはり純粋な知のアリーナ★4であって、通俗的な利害関係★5などとは切り離されたところで、粛々と研究が進んでいる、というようなイメージを持っていた。もちろん、研究の世界にもある種の「政治」があることはなんとなく感じていた。しかし、どう考えても今後伸びるであろう、生物学と情報科学が重なるこのテーマが、研究室において継続されないことになるとは思いもよらなかった。ナイーブといってしまえばそれまでだが、私がその瞬間、大学やアカデミズムの世界にかなり失望したのは間違いない。

「とにかく今後については、よく調べて、よく考えて決めた方がいいよ。重要な選択だから」彼はそう言って、去って行った。

私はすぐに教授に相談すべきだったのかもしれない。が、私はためらった。結局、その問題を保留したまま、私は学業を続けることになる。一方で、すでに本連載で述べてきたように、その後はA氏も登場し、研究自体は面白くなっていったのである。この研究室に残るという選択肢は、事実上、ないにもかかわらず。いったい私は何を考えていたのか。

私の人生における、最初の決断の日が迫っていた。(つづく)

Endnote:
1 言わずと知れた『韓非子』に基づく故事。漫画『パタリロ』では、いかなる物も貫く矛と絶対に破られない盾をパタリロが発明し、両者がぶつかった結果、遠い昔にビッグバンが起きたため、この宇宙が生成したのだ、という矛盾したエピソードが登場する。

★2 2階以上の建物の1階部分において、壁をなくして人や物が通りやすくした構造のこと。見通しや風通しが良い。1995年の阪神淡路大震災では、壁がないために耐震性に問題があるケースが認められたが、2011年の東日本大震災では、津波に対する一定の優位性が確認されている。

★3 生命システムを、物理学の手法で理解しようとする学際分野のこと。生物物理は、分子のレベルから、生体組織、さらには生物群に至るまで、幅広いスケールをカバーしている。「科学家のテラス2」で触れたとおり、筆者が学んでいたのは”bioinformatics”のはしりであったが、まだそんな言葉はなかったので、「生物物理」と呼ばれることも多かったと思う。ちなみに、”biophysics”という言葉を最初に使ったのは、英国の統計学者にして優生学者のカール・ピアソン(1857-1936)である。彼は、より素朴な意味で、物理学や数学の言葉で生命現象が記述できると確信していた。その延長線上に起きる悲劇を、彼がどれだけ予想し得たかは、判断の分かれるところではあるが。

★4 近代科学は、キリスト教的な知をベースとした、自然への理解に対する情熱と敬意に始まった知的営為である。当初は上流階級を中心に進められた科学研究も、制度化されるにつれて徐々に俗化していく。その結果、信仰上の動機と自然科学ははっきりと切り離されていくのだが、今でも科学研究は、世俗とはちがう価値基準で営まれているという「イメージ」は残っているように思われる。それは、ノーベル賞受賞者に対してある種の人格的な敬意が社会的に保たれていることにも、表れているのではないだろうか。しかし現実の科学の在り方は、現代においては、大いに変化し、かつてのような「自然界の理を追究する純粋な営為としての科学」というモデルだけでは、実態を表現できているとは到底いえないだろう。

★5 最近、研究者の利害関係に関心が集まるようになっており、「利害相反」の問題として一般に認知されつつある。定義は色々あるが、「ある人格が、関わりのある他者に対してなんらかの判断を行う際に、その判断を適切に行うことを阻害するような利害関係を持っている状態のこと」というのが一般的な理解であろう。例えば、ある薬品メーカーが開発している薬の臨床試験に関わっている研究者が、そのメーカーから研究費を貰っている、というような「状態」のことである。研究者が社会のために働くことは今や当然のことであるが、それによって、利害相反が複雑に生起するようになったのも事実である。研究者のアウトプットの信頼性を保つために、どのような仕組みが適切か、今まさに、議論が進んでいるところである。これもまた、「純粋な研究」という概念が過去のものとなりつつあることの証左であろう。

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科学家のテラス 10[神里達博] https://www.fivedme.org/2016/11/12/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-10-reflections-from-an-amateur-scientist/ Fri, 11 Nov 2016 20:57:46 +0000 https://www.fivedme.org/2016/11/12/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-10-reflections-from-an-amateur-scientist/ 科学家のテラス 10
Reflections from an Amateur Scientist 10

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼研究は充実。そしてAさんの意味深なひと言
週に一度のドライ・ラボのミーティングは、教授、アルメニア人のAさん、修士のHさん、そして私の四人であった。ウェット・ラボのメンバーが十数名であることを考えると、こちらは実にこぢんまりしていた。どちらもミーティングの時間はだいたい同じだから、当然、一人あたりの発話時間は、ドライ・ラボの方がずっと多くなる。毎週そんなことをやっていればさぞかし「英語によるコミュ力」がついただろうと思われるかもしれないが、正直、このミーティングで英語力がついたという気はしない★1。

一方で、「AKIHABARA探検」や「トルコ料理の会」の件★2もあって、すっかり仲良くなったAさんと私は、日常的にコミュニケーションをとるようになった。相変わらず、ときどき話が通じなくなることもあったが、「だいたい分かる」という場面が増えていった。そのことが私はとても嬉しかった。また研究者として大先輩であるAさんは、私がちょっと質問をすると、色々な研究上のスキルやヒントを快く示してくれた。ドライ・ラボ専属となった私は、教授に「結果を出せ」と発破をかけられていたが★3、Aさんの指導もあって、教授が私に示したテーマとはちょっと別の、ささやかながらも面白いトピックを見つけることもできた★4。これは、自分で「問題」を見つけて「解決」したという、研究者人生最初の、忘れ得ぬ経験となった。

そういうわけで、その頃の私は、Aさんとつるんでるように見えていたと思う。元々、ドライ・ラボとウェット・ラボの間には微妙な壁★5があったわけだが、その上、「よく外国人と一緒にいる男」ということになって、私はさらに研究室で浮いた存在になっていたであろう。しかし当時の私は、むしろそれを誇りにさえ思っていたと思う。ちょっとしたエリート意識のようなものも、あったかもしれない。だから、ウェット・ラボにいた時のような憂鬱は、すっかりなくなっていた。

そんなある日、食堂で一緒に食事をしている時だったように思う、Aさんはこんなことを言い出した。「ドライ・ラボのミーティングについてですが、議論が深まっていかないですね。メンバーは、自分の頭で考えない人です。メンバーの研究に対して、積極的に新しいアイデアを出そうとしません。どう思いますか?」

私は、ドライ・ラボのミーティングは十分に活発だと思っていたので、ちょっと面食らった。いったい彼は、誰がどう「考えてない」と思っているのだろう。Hさんのことか、私のことか。まさか教授のこと? 急な厳しい言葉に、はらわたがざわざわっとした。ちゃんと理由を聞くべきだったと、今なら思う。だが、私はつい、彼の言葉を飲み込んでしまった。たぶん、微妙に笑顔をつくり、関係のないことをぼそぼそっと言って、話を変えようとしたはずだ。私が対応に窮したことに気づいた彼は、自分の問題提起の「重大さ」を悟ったのか、その後、その話題を口にすることはなかった。

しかし、この「自分の頭で考えない人」という言葉は、私の頭から離れなかった。徐々に、あれは研究室の全員、下手をすると、日本人全てに対して向けられた言葉だったのかもしれない、などと思うようになった。

……というわけで、本連載も気づけばもう第10回。期せずして研究室での物語が飴のように伸びてしまったが、そろそろ場面転換をしないと我慢強い読者の皆さんも逃げてしまいそうだ。次回からは少し「巻いて」いこうと思う。

ただここで、一つ白状しておきたいことがある。本連載は、フィクションではないが、当時、私の周りで起きたことの「全て」を描いているわけではない。加えて、この連載を書いているうちに、当時のできごとが後から後から思い出されてきて、まるでパンドラの箱を開けたように、自分自身、ちょっと当惑している。だからこれは一種の自叙伝ではあろうが、客観的な記録ではない。この点、どうかご了承いただきたい。

そして実は今頃になって、ある重要な事件について、「起きた順番」を勘違いしていたことに気づいた。それはA氏が来るより前のことであったのに、まだ言及していなかったのだ。面目ない。次回、遅ればせながら、そのことを明らかにしたいと思う。(つづく)

Endnote:
1 その理由を今、考えてみると、教授が常に細かな文法や発音の間違いをいちいち指摘することが大きかったように思う。その結果、私はいつも妙に「英語のことばかり」が気になり、逆に議論の中身に集中しにくかった。『第二言語習得論』という言語学の一分野がある。その実証的な研究によると、外国語の習得の際、緊張しないことは大切であるようだ。その意味でこの教授は、英語の先生としてはあまり適切ではなかったかもしれない。

★2 「科学家のテラス7」「同9」を参照のこと。

★3 「科学家のテラス5」を参照のこと。

★4 詳しく言えば、「ペプチドの両端の距離が分かっている時、その間のアミノ酸の空間的配置(角度のパラメータφとψ)を解析的に決めること」であった。私はこのトピックを自分で解いたのだが、後に海外ですでに解決されて論文になっていることが、Hさんの指摘で判明した。学部生の仕事だから、そもそもたいした話ではないのだが、研究というものの厳しさを最初に感じた場面であった。

★5 「科学家のテラス3」を参照のこと。

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科学家のテラス 9[神里達博] https://www.fivedme.org/2016/05/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-9-reflections-from-an-amateur-scientist-9/ Sun, 15 May 2016 03:33:51 +0000 https://www.fivedme.org/2016/05/15/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b9-9-reflections-from-an-amateur-scientist-9/ 科学家のテラス 9
Reflections from an Amateur Scientist 9

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼そしてエスニックな大食事会
「もちろんです」

アルメニア人の研究者Aさんは、一瞬緊張した表情を見せたが、すぐにいつもの温和な顔に戻って、そう答えた。私はあえて、彼の祖国に対する歴史的な宿敵、「トルコ」の料理店で夕食会をやろうと誘ったのである。

私はとりあえず、外国好きの友人に声をかけた。一緒にバンドをやっていた子供の頃からの友達I君。彼は今、インドで流通系企業の社長をやっている。また中国が好きだったM君。その後、北京に留学して中国人の女性と結婚し、ODA(政府開発援助)の専門家になって今もアジアを飛び回っている。ちょうどカリフォルニアでアートの勉強をして戻ってきたばかりのT君もやってきたと思う。その上、おのおのが勝手に癖の強い友人を連れてきた。あの「鉄のカーテン★1」の向こうからやってきた、中央アジア出身の、しかも「ニューラル・ネットワーク★2」の専門家に会えるということで、結局20人近くが集まったが、半分くらいは私も知らない顔だった。

たしか、店は四谷だったと思う。エスニックな世界★3に精通するM君が「ここが最高のトルコ料理屋です」と自信満々に断言するので、従ってみた。店に入ると、トルコ人の店員が笑顔で迎えてくれた。私は、「ここで国際紛争が起きたら……」と刹那、不安を覚えたが、当然、全くの杞憂であった。

何時間かがあっという間に過ぎた。何の話をしたのかはよく覚えていない。まあ、集まったのは20代前半の若造ばかりだから、背伸びをして勝手なことを語っていたのだろう。ただ、みんな、好奇心がはち切れそうな連中だったのは間違いない。そしてAさんも、普段よりなお一層の笑顔で、ずいぶんと酒を飲んでいた。

1990年前後の当時、多くの日本人は、新しい「誇りある時代」に入りつつあると信じていたように思う。追いつけ追い越せの季節は去り、日経平均株価は4万円近くにまで上がった。あのロックフェラー・センター★4も含め、世界中の不動産を日本企業が買い漁っていたのだ。

この日、トルコ料理店に集まった若者達は、そういう「バブル」と呼ばれる時代とは直接の関係がない。なにせ、ただの学生にすぎなかったから。しかし、いずれは自分も世界に打って出て、外国でさまざまな人たちと対等に渡り合うのだ、というような気概はあったように思う。そして実際、その多くが今、海の向こうで色々な仕事をしている。

しかしちょうどその頃、私が最も関心を持ち、「ドライ・ラボ」の真ん中にあったコンピュータは、考え方も原理も、すべてが「米国製」であった。当時、アップルやサン・マイクロシステムズ、またマイクロソフトなどのIT★5系の企業は、大手不動産業などと比べればかなり小規模だったが、私には、不動産がコンピュータよりも未来があるとは、とうてい思えなかった。

帰り道、私はAさんから非常に深く感謝をされた。「カミサトさんのおかげで、たくさんの友達ができました」「今度は、私がパーティーに招きたい」。そうか。そういうものか。招いたら招かれるのか。その時、自分も「国際人」になったかのような気分になったのをよく覚えている。

こうして私とAさんは、本当に「友達」になった。しかし私は、Aさんから驚くべき相談を受けることになる。もちろん友達なのだから、本音の相談を受けることもあるだろう。だがそれは、ドライ・ラボへの「不満」であったのだ。(つづく)

Endnote:
1 第二次大戦の立役者の一人、英国首相を務めたウィンストン・チャーチル(1874-1965)が、米国で行った演説において初めて使った言葉で、ソビエトを中心とする共産圏の拡大を批判する目的で語られた。「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステにかけて、大陸を遮断する鉄のカーテンが降ろされたのであります。」(W.S.チャーチル『第二次世界大戦 4 新装版』佐藤亮一訳、河出文庫、2001年、p.452)

★2 「科学家のテラス6」を参照のこと。

★3 日本ではおおむね1980年代半ば頃から、「エスニック」のブームが到来した。それは料理(ex.タイ料理の流行)やファッション(ex. スパイシーカラー)、音楽(ex.ワールドミュージックの一般化)や旅行(ex.バリ島の人気)など、多分野に及んだが、いずれも「民族的なもの」を愛好する点で共通する。背景にはさまざまな要因が考えられるが、個人的な皮膚感覚としては、冷戦体制的な空気感が薄れて消費の多様化が進むなかで、「欧米系」に飽き、「それ以外」を消費することが「先端的」と感じた若者達が増えたことが大きい、と思う。

★4 スタンダード・オイルを創業したジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(1839-1937)が中心となって、マンハッタンに開発した複合施設。1989年10月、三菱地所が、その運営会社「ロックフェラー・グループ」を買収したことで、オーナーが日本企業となった。これは米国では大きな衝撃をもって受け止められ、「米国の魂を買った」などと大きく報じられたが、その後、三菱地所は資金繰りが悪化、大半のビルを手放すことになった。

★5 Information Technologyの略。情報を扱う技術の歴史は古いものの、2000年になるまで、この省略形が使われるシーンを私は見たことがない。当時の森喜朗(1937-)首相が「イット」と発音したのが懐かしい。

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科学家のテラス 8[神里達博] https://www.fivedme.org/2016/04/24/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b98-reflections-from-an-amateur-scientist-8/ Sat, 23 Apr 2016 23:33:05 +0000 https://www.fivedme.org/2016/04/24/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b98-reflections-from-an-amateur-scientist-8/ 科学家のテラス 8
Reflections from an Amateur Scientist 8

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

タツ! 元気ですか#&U¥$d%……
アルメニア人でモスクワ大学出身の生物物理学者、Aさんの求めに応じ、「秋葉原ツアー」を敢行したことで、私とAさんの関係は変わった。

まず彼は、私を見つけると笑顔で近づいてきて、あーだこーだと話をしてくるようになった。それまでも、同じ「ドライ・ラボ」のメンバーなのだから、会えば挨拶くらいはしていたし、土曜日のコロキウムでは、一応、研究上の議論もやっていたのだが、明らかにフェイズが変わった。たとえば彼はこんなことを言ってくる。

「タツ! 元気ですか。私は、白金の寮は#&U¥$d%★1のために、住み続けることができなくなりました。困りました。だから引っ越します。でも、もちろん%&#‘*+&%#$なので、色々な場所で部屋を探しています。しかし東京は広いから*4&D%ですから、大変なんですよ。何よりも私は外国人、部屋を貸してくれる人が少ない。それで私は教授にお願いして、&%$ヶwぶD……」(訳・神里)

一言で「英会話力★2」といっても、色々な方向性がある。研究会で話される言葉は、日常会話に比べると、厳密さが要されるものの、使われる文法や語彙のスペクトル★3はむしろ狭い。しかし、外国人と「世間話をする」というのはかなり、大変だ。共通基盤が少ないので、サウンドを聞き逃したとき、語られている内容を推測するのが難しいからだ。その結果、上記の「#&U¥$d%」などが会話に挿入されてしまう。そういう意味では専門的な議論の方がラクなんだなと私は初めて気づいた。

それにしても、英語が堪能な人は沢山いたはずだが、なぜ私が彼とよく話をするようになったのか。「秋葉原ツアー」という契機があったにしても、不思議と言えば不思議である。そうやって今、考えてみると、私も彼も、孤独だったのだと気づく。私はウェット・ラボをクビになって、ドライ・ラボに来たが、すでに述べたように★4そこは人間関係も比較的ドライであった。彼も、異国の地に半ば亡命者のようにやってきて、しかも必ずしも研究室の方向性と彼の専門は一致していなかったので、あまり話し相手がいなかった。要するに私と彼は、「みそっかす」同士だったのだ。

私は、彼の故郷についても尋ねてみた。正直、「%ヌ&#&」が挟まってしまってよく分からなかった。それでも、実家のそばには湖があって、父親は釣りばかりしていることぐらいは分かった。そして母国・アルメニアはとても辛い歴史を背負っており、特にトルコは許せない、と普段はにこやかな彼が、意外なほど興奮して語ったのをよく覚えている。私は気になって図書館に行き、アルメニアのことを少し調べた。すると、自分が欧州の歴史をほとんど知らないことを思い知らされた。「アルメニア人大虐殺(Armenian Genocide)★5」を知ったのは、その時のことだ。

私はある日、思い切って彼に提案した。なんでそんなことを言ったのか、今は正直よく覚えていない。しかし確かに私はこんなことを彼に言った。「今度、私の友達と、食事に行かない? アルメニアの宿敵、トルコを丸ごと食べてしまう”トルコ料理”、なんてどう?」 一瞬、彼の眼がキラッと光り、そして一呼吸、間をおいて、彼は口を開いた。(つづく)

Endnote:
1 コンピュータでテキストを扱っていると、「文字化け」という現象に見舞われることがある。漢字コードの不一致などが原因であることが多いが、その際に現れるデタラメな文字列を、一般の文書のなかに組み入れて使うことで、「ちんぷんかんぷん」を表現する技法が最近、見られるようになった。ここで使っている「#&U¥$d%」という文字列もそういう趣旨であって、「シャープアンドU、円ドルdパーセント」という意味ではない。

★2 現代日本における「英会話」は非常に不思議な存在である。グローバル化が叫ばれ、国を挙げて「英会話力強化」を推進しようとしているが、ほとんどの人々は国内で英会話が必要になるシーンにはまず出くわさない。それでも皆、英会話学習に投資を惜しまない。理由を聞けば、「外国の人に道を聞かれたときに対応できるように」と答える人も少なくないが、一生で何回そんな場面があるのだろうか。私見であるが、この国には自分と異なる環境で育ち、異なる価値観をもった人間とコミュニケーションをとることに関心をもつ人は、決して多くはない。むしろ「仲間とつるむ」ことに快感をもつ、ローカルなマインドの人が多数派だろう。もちろん、どこの国でも普通の人はローカルに生きるものだとも思う。ただ、強調しておきたいのは、外国人とは「他者」の典型であるということだ。言葉が通じる相手であっても、自分と異なるグループに属す「他者」に対する関心の薄い多くの日本人の皆さんが、何のために英会話を学ぼうとするのか。その特異な心情を外国人に説明することは、私のつたない英会話能力では不可能である。

★3 英語では”spectrum”と綴り、元々は幻影や幽霊(specter)を意味したが、ニュートンが「光学」において、プリズムによって生じる、連続的に色彩が変化しながら分布する光の帯をそう呼んだ。現在では光に限らず、なんらかの量が一定の幅をもって分布している状態をそう呼んでいる。なお、「スペクトルマン」は1971年から72年にかけてフジテレビ系列で放映されていた特撮ヒーローものの主人公の名前である。放送開始当初の番組名は、なんと敵の名称である『宇宙猿人ゴリ』であったが、途中で『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』になり、最後は『スペクトルマン』に落ち着いた。

★4 「科学家のテラス3」、「同5」などを参照のこと。

★5 第一次世界大戦の最中であった1915年4月、オスマン・トルコ政府によって組織的に行われたとされる、アルメニア人の大量殺害事件。2015年4月24日には、100周年のセレモニーが大規模に行われた。被害者の数は諸説あるが、一説には150万人が犠牲になったとされる。現在も、当該地域の不安定と呼応しつつ、歴史認識の問題として火種はくすぶっている。たとえば、欧州や南米の多くの国や、ロシア、バチカン、そしてEUなどはこの事件を歴史的事実として認めているが、トルコや米国、英国やイスラエルなどは公式に認めていない。詳細は、http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/24/armenian-genocide-controversy_n_7140572.htmlや、http://armeniangenocide100.org/en/を参照のこと。

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科学家のテラス 7[神里達博] https://www.fivedme.org/2016/04/24/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b97-reflections-from-an-amateur-scientist-7/ Sat, 23 Apr 2016 23:27:27 +0000 https://www.fivedme.org/2016/04/24/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b97-reflections-from-an-amateur-scientist-7/ 科学家のテラス 7
Reflections from an Amateur Scientist 7

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼テクノの総本山”Akihabara”へ行く
1990年代初頭。「ソ連」からやってきた生物物理学者Aさんがドライ・ラボに加わったことで、英語によるコロキウムが始まった。私は当初とても苦労したのだが、しかし毎週そんなことをやっていると、なんとなく「勘」みたいなものがついてくるから不思議だ。Aさんの研究は、私の専門とはだいぶ違う──いや正直言って関係ない──ものだったが、彼と教授の白熱する議論を何度も聞いているうちに、なんとなく中身が分かるようになってきたのだ。気づけば、「知性をシミュレートする人工知能を作るためには、学習機能を持ったニューラル・ネットワークがやっぱり有望★1なのかな」などとぼんやりと思うようにすら、なっていた。しかし自分からそのハイレベルな議論に加わることはなかった。そんな資格が自分にあるとは、とうてい思えなかったからである。

そんなある日のこと、私が大学の廊下を歩いていると、笑顔のAさんが小走りに近づいてきた。彼は大男であるから急接近されると圧迫感がある。そもそも、「ドライ・ラボ」の時間以外で彼と会うことはほとんどなかった。だから私はにわかに緊張した。

「ど、どうかしましたか?」 私は、おどおどと拙い英語で問うた。彼は身振り手振りを交えながら、嬉しそうに話をする。最初は何を言っているのかよく分からなかったが、どうやら、1)自分の娘にキーボード★2を買ってやりたい、2)しかし何を選んで良いか分からない、3)自分は「かの有名なAkihabara★3」に行きたい、4)あなたは「専門家」だからつきあってくれないか、ということのようだった。その頃の私は音楽が好きで、キーボードで変な曲を作って遊んでいた。研究室の自己紹介の時も、そんなことを口走ったのだった。

しかし、自力で外国人のアテンドなんてできるのか? 私は怯んだが、まあ「得意分野」でもあり、また彼の笑顔に押し切られ、「かの有名な秋葉原★4」に随行することを承諾した。

その週末の午後、都営バスに乗り込み、我々が目指したのは「ラオックス★5楽器館」であった。バスの中で私が「どんなものが良いのですか?」と尋ねると、彼は「まだ子供なので、基本的なものを」と答えた(たぶん)。店に着き、店員に聞くと、1万円くらいのカシオのキーボードを二つ見せてくれた。色々な音色があるし、簡単なリズム機能もついていて、どちらも悪くない。Aさんは両方を自分で少し弾いてみたあと、一方を指さした。商談成立。案外簡単に目的は達成されてしまった。彼は何度も私に礼を言い、キーボードを大事そうに抱えながら、白金にある外国人向けの寮へと、帰って行った。

そしてこの日を境に、私とAさんの関係のみならず、私のラボでの立場も、大きく変貌していくことになったのである。(つづく)

Endnote:
1 しかし、ちょうど時代は「第二次人工知能ブーム」が去った頃にあたる。理屈ではさまざまな認識ができるはずのニューラル・ネットワークであったが、今から考えると、当時はとにかく「データ」が足りなかった。この現実世界についてのデジタル化された膨大なデータが存在して初めて、この種の研究は進むのだ。インターネット時代の到来こそが、ディープ・ラーニングに再び光を当てたと言える。

★2 キーボード(keyboard)は「鍵盤」と訳されるが、コンピュータ等の手動入力装置としてのそれと、ピアノやオルガンに似た外見を持つ電子楽器あるいは単にミュージック・シンセサイザのことを指す場合がある。ここでは当然、後者の電子楽器のことを意味している。

★3 当時の秋葉原電気街は、「安売り家電」や「電子部品」を売る街から、急速に「パソコンの街」へと脱皮しつつあった。といっても「メイド喫茶」などはまだ存在せず、飽くまで先端的なテクノロジーを扱う、硬派な街として認知されていた。そう、90年代前半の日本はまだまだ好景気に浮かれ、”Japan As Number One”の余韻も残っていた。そんな、技術で世界を牽引するニッポンの、テクノの総本山”Akihabara”は、今とは違う意味で光り輝いていたのである。

★4 「秋葉原」は、東北本線(京浜東北線等)と総武本線(総武線等)が交わるJR東日本の駅名、ならびにその周辺の地域を指す地名である。現在の正式な町名は「外神田」や「神田佐久間町」などであり、「秋葉原」という地名は台東区の一部に残るのみである。この土地の名の由来はなかなか興味深い。江戸時代、天竜川の上流に位置する「秋葉神社」は、「火伏せ(=防火)の神」として全国的に有名であった。とりわけ江戸は火事が多かったので、「秋葉権現」などと呼ばれ篤く信仰された。一方、佐久間町には材木問屋も多く、一旦火災が発生すると甚大な被害が出たため、「佐久間」を「悪魔」と読み替えることすらあったという。明治に入り新政府は、その場所に防火のための広い空き地を作り、「鎮火社」を祀った。この社は「秋葉神社」とは関係なく建てられたものだったのだが、人々が「これは秋葉権現が勧請されたに違いない」と思い込んだ結果、「秋葉原(あきばっぱら)」などと呼ばれるようになった。すなわち、最初から「勘違い」で名付けられた街だったのだ。

★5 戦前から続く電器商をルーツとする、秋葉原で発展した元・大手家電量販店チェーン。1970年代半ばに「ラオックス」の商号を使いはじめ、90年代には全国の都市に支店を設け、有名チェーン店として知られるようになった。特に、1990年4月に秋葉原に開店した「ザ・コンピュータ館」は、本体から周辺機器、さらにはさまざまなPCパーツやソフトウェアに至るまで、日本のパソコン関連市場を代表する旗艦店であった。そこには最先端の技術に群がるマニアや、さまざまなメーカーの技術者、クライアント企業の担当者などがいつも溢れかえっており、いつ行っても独特の熱気を帯びていたことが忘れがたい。いわば「常設の見本市」であったのだ。しかし、パソコンに傾斜しすぎたことなどが災いし、00年代半ば頃から業績不振に陥り、2009年には中国資本の傘下となった。現在は家電量販店というよりも、外国人旅行者向け免税店チェーンと呼ぶべき業態となっている。

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科学家のテラス 6[神里達博] https://www.fivedme.org/2015/09/24/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b96-reflections-from-an-amateur-scientist-6/ Thu, 24 Sep 2015 08:46:15 +0000 https://www.fivedme.org/2015/09/24/%e7%a7%91%e5%ad%a6%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%86%e3%83%a9%e3%82%b96-reflections-from-an-amateur-scientist-6/ 科学家のテラス 6
Reflections from an Amateur Scientist 6

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼ドライ・ラボのグローバル化!?
工学部時代の話を続ける。私はウェット・ラボとの併任を解かれ、ドライ・ラボの「専従メンバー」になった。まあメンバーといっても、学生はあと一人、例のワークステーション〈アイリス(IRIS)〉 ★1のメンテナンスをしていたM2★2のHさんだけだった。彼は物静かな人だったが、ソフトウェアの知識とスキルには驚嘆すべきものがあった。今も思い出すのは、IRISを購入した会社からサポートに来る、とても痩せたSEのお姉さんと、Hさんが小さな声で話し込んでいる姿だ。そのときの彼が一番生き生きとしているように見えたからだろう。私もシステムについて困ったことがあると、いつも彼を頼った。彼は消え入るような小さな声で、しかし非常に的確なアドバイス★3をくれた。私は彼を尊敬していた。

そんなHさんと教授、そして私の3名は、週に一度、土曜日の午前中、ドライ・ラボのコロキウムを始めた。元々、簡単なミーティングはやっていたが、私が「専従」になったことも影響してか、本格的な研究会が始まったのだ。教授はいつもハイテンション、Hさんはいつもローテンション。発話量は常に教授が圧倒していた。彼は身振り手振りでさまざまなアイデアを喋る。するとHさんがぼそっと一言、返す。教授は一瞬ひるむ。だがすぐに、別のアイデアを語りだす。またHさんが小さな声で何かを言う。教授が考え込む……そんなやりとりをぼーっと観戦していると、「で、カミサト君は、どう思うかね?」と急に突っ込まれたりする。私は「いやあ……」と、口ごもる。心の中では「そんな、行司★4なんて無理ですよ」とつぶやいていた。

しかしまもなく、もっと驚くべきことが起きた。海外からポスドク研究者、Aさんが来ることになったのだ。彼はモスクワ大学★5で博士号をとった、ニューラル・ネットワーク★6の研究者だった。当時、すでに「ベルリンの壁★7」は崩れており、東側諸国では体制変化の連鎖反応が起きていた。その、まさに「ボスキャラ」であるソビエト社会主義共和国連邦は、末期的な混乱状態にあった。Aさん一家は、混乱を避けるためにつてを頼り、日本に避難して来たのである。彼はアルメニア★8人で、奧さんはロシア人の小児科医。娘さんは幼稚園くらいだったと思う。そしてソ連はAさん一家が日本にいる間に消滅した。

ともかく、ドライ・ラボに彼が加わったことで、週一回のミーティングは英語で行われることになった。私は英語が不得意だから、週末が近づくたびに憂鬱になった。教授は英語には特に容赦なかった。私は辞書とくびっぴきで用意したレジメをおどおど読み上げるのだが、彼はイライラしながら私の発音をひっきりなしに訂正する。今でも「酸」の”acid”のアクセントの位置を間違えて、こっぴどく叱責されたことが忘れがたい。そうやって自分の番が過ぎると、あとは必死に議論に耳を集中させる。しかし、そもそも教授とAさんの語る内容はハイレベルな上に、英語での議論だから、正直、もうサッパリ分からなかった。ウェット・ラボを事実上「落第」した私だったが、ドライ・ラボの「急速なグローバル化」によって、私は再び窮地に陥ったのである。(つづく)

Endnote:
1 「科学家のテラス1」を参照のこと。

★2 修士(Master)課程2年のこと。「えむに」と発音する。同様にD3(でぃーさん、博士課程3年)などと言う。

★3 知的な空間を設計する上で最も大事なのは、人と人の距離の設定であろう。何か疑問が生じたとき、その問いに答えられる人がそばにいるかどうか。また新しいアイデアが浮かんだとき、そのアイデアの価値を理解できる人とすぐに議論できるかどうか。当然、「直接の」コミュニケーションが理想であるから、独立性の高い個室の集合体では交流が阻害される。逆に、日本企業で一般的な「大部屋」では、個人は集中力を発揮できないだろう。つかず離れずの距離感が、クリエイティブな作業には大切である。

★4 「行司」には必ずしも経験や知識が必要とは限らない、と今の私なら考える。だがそう思えるようになったのは、経験と知識が増えたから、というパラドクスがある。教育は難しい。

★5 1755年に科学者ミハイル・ロモノーソフ(1711-1765)の提言で設立されたロシアの代表的な大学。正式名称は「M.V.ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学」という。自然科学系、特に数物系に強く、これまでにノーベル賞やフィールズ賞の受賞者を多数、輩出している。ソビエト連邦最後の大統領、ミハイル・ゴルバチョフ(1931-)も卒業生である。

★6 コンピュータは、一定の算法で高速・大量に処理を行うといったことは得意だが、形態的特徴からモノを認識したり、対象を掴んで動かすなど、生物ならば比較的容易にできる作業を行わせるのは、意外に計算量が膨大になって難しい。そこで、脳の仕組みを参考に、コンピュータの中で神経回路のメカニズムを模倣して学習機能を持たせ、問題を解決しようとするアプローチが構想された。この考え方自体は古く、第二次大戦中から知られているが、技術的課題も多く、途中、研究の停滞期もあった。だが近年、「ディープ・ラーニング」の登場などで、再び注目を集めている。

★7 1989年8月、私は「チェックポイント・チャーリー」からこの壁を越えて東ベルリンを訪問した。その3ヶ月後、壁は崩れた。歴史は意外に簡単に動くものなのだな、と思った。

★8 カスピ海の西部、アゼルバイジャンとトルコの間に位置する共和国。歴史は古く、世界で初めてキリスト教を国教とした国として知られる(西暦301年)。これはローマ帝国より早い。その後、周囲の大国の侵攻で国土は荒び、多くのアルメニア人は故郷を捨て「ディアスポラ」となった。20世紀に入ると、ロシア革命の後、アルメニア民族運動によってアルメニア第一共和国が成立したが、程なく赤軍の攻撃によりソビエト連邦に併合される。1991年、ソ連崩壊により独立国「アルメニア共和国」となり、現在に至る。

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