「いいとも」にカッパが出た日
A Day Kappa Appeared on TV

高橋聡太 Sota Takahashi

2002年8月の昼、携帯電話がブブブと短く震えて「いいともにカッパが出てる!」と件名に書かれただけのメールが届いた。CC にはクラスメイトの名前が並んでいる。当時の自分は中学3年生で、受験勉強のために出かけるところだった。

「いいとも」こと『笑っていいとも!』は、平日の正午から生放送されるバラエティ番組だ。放送開始は1982年10月。自分が幼い頃には司会者であるタモリのサングラス姿ともどもお昼の顔として定着しており、たまたま目にとまることはあっても熱心に見入るようなものではなかった。だが、どんなに見慣れた番組でも、そこにカッパが出るとあっては話が別である。メールを見た級友たちは一斉に「いいとも」にチャンネルを合わせたようだ。すぐに家を出たぼくはテレビを見られなかったが、友人たちの間ではその後もかなりのペースでメールが交換され、夏期講習へと自転車で向かう道すがらポケットの中で何度も携帯電話が振動した。

信号待ちの時間を利用して友人たちのやりとりを傍観するに、どうやらカッパは男性の容姿を競う番組内のコーナーに紹介役として登場したらしい。学校で見慣れた制服姿のカッパがフリップに書かれたコピーを読み上げ、司会役の芸能人が「それではどうぞ!」と声を張ると、カッパが推薦した学年随一と言われる美男子が登場したそうだ。勉強も運動もできるうえに生徒会長までつとめた彼のルックスは、なかなか好評だったとのことである。

もちろん日本の水辺に棲むとされる妖怪の「河童」がテレビに出てきたわけではない。紹介役の彼女は、つり眼と尖った口先と耳の下で切り揃えた黒い髪、さらにはひょうきんな性格が決め手となり、そのキャラクターゆえクラス内でカッパと呼ばれていたのだ。夏休みあけの登校日はこの日の話題でもちきりで、美男子もカッパも一躍時の人となり「スタジオが狭いってよく言うけど本当はどうなの?」「タモリさんオーラあった?」等々の質問攻めにあっていた。その熱も翌日にはすっかり冷め、やがて中学を出て月日が経つと妖怪の名を冠された奇矯な同級生がいたことすら忘れてしまった。

それから12年後の2014年春、当たり前のように続くと思っていた「いいとも」は最終回を迎える。ギネスに認定されるほどの長寿番組に幕を引くにあたり、番組内では多くの回顧特集が組まれてタモリと大勢の著名人が彩る名場面の数々が紹介されていたが、ぼくが真っ先に思い出したのは「いいとも」にカッパが出た日のざわめきだった。

公募によって集めた約100人の観客が見守るなか、一芸を持つ素人を各コーナーで舞台に立たせた『笑っていいとも!』は、たくさんの人々をテレビの世界に闖入させてきた。視聴者にとってその大半は何ら関係のない有象無象にすぎないが、ごくまれに身近なものが割りこんだ瞬間「テレビジョン」から「テレ(遠さ)」がとれ、こちらとあちらはほんの束の間だけ地続きに見える。その昂揚は生放送を目撃した人々を囲む小さな輪へと伝わり、ささやかな狂騒となるのだ。こうした場を32年にわたり飄々と仕切ってきたタモリの出自が、「いいとも」で刹那的に主役となる無数の無名の人々と同様に、お笑いの下積みをほとんど経験していない面妖な素人だったことは、決して偶然ではないように思える。これからのいいともなき日々に、カッパはどんなふうに出てくるのだろう。