科学家のテラス 2
Reflections from an Amateur Scientist 2

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

工学部・研究室時代の興奮
前回に引き続き、私が工学部★1の研究室に在籍していた1990年頃の話をしたい。

私が選んだ研究テーマは、制限酵素(Restriction Endonuclease)★2の一種である「EcoRI」★3を人工改変する、というものだった。学部生としてはかなり野心的なものだったろう。もちろん、テーマを提示してくださったのは指導教授である。彼の狙いは、一部のアミノ酸を改変し、それまで自然界には確認されていない、新しい塩基配列を認識・切断する酵素を、人工的に創り出すことだった。これは正しく「工学部的」な発想である。

その頃、蛋白質の性質を変化させる方法としては、変異原性★4を持つ薬品などを使い、ランダムに遺伝子に傷をつけ、偶然に有用な性質を持つ株が発生するのを期待するというやり方があった。しかしこれはまさに「数打ちゃ当たる」式の発想であり、そう簡単に良い結果は出ない。実際、同じ研究室のK氏★5は、この方法で別の蛋白質の研究をしていたが、結局、あまりうまくいかなかったそうだ。

これに対して私は、より計画的な「組み替え」を狙っていた。そう、そこで活躍したのが前回お話しした〈IRIS〉だったのだ。というのもその当時は、海外でEcoRIの精密な立体構造が初めて明らかにされ、研究者コミュニティに公開されたばかりだった。そのデータ★6を取り寄せ、一部のアミノ酸を交換した場合の全体構造をIRIS上でシミュレーションし、まずは見込みのあるアミノ酸の配列を予測する。その上で、現実のEcoRIの当該部分の遺伝子を組み替え、大腸菌に組み込んで培養し、新しい酵素を産生させる、というプランだった。

というわけで、教授は私に対して、実際の組み替えをやりつつシミュレーションもしなさい、と指導した。それは、世界的にも本格的に始まったばかりの、ウェット★7な実験とドライ★8なコンピュータ・シミュレーションの「共同作業」であった★9。私は相当に興奮させられた。ちょうど、TBS系ドラマ『SPEC』★10で京大理学部出身という設定になっている主人公・当麻紗綾が、知的な刺激を受けるとエキサイトして「たかまるぅーっ」と叫ぶ、まさにあの感じである。

だが実際にやってみると両者は、同じ研究室なはずなのに、まるで違うルールが支配していた。(つづく)

Endnote:
1 大学において工学を教える学部のこと。欧州の伝統においては、総合大学(university)では科学(science)を教えても技術(technology)は教えなかった。これは、技術を担うのは職人階層であると見なされてきたためである。その結果、世界で初めて「工学部」なるものが総合大学にできたのは、19世紀の東洋の開発途上国、「日本」の帝国大学であった。いまだに日本の大学の特徴の一つは、工学部が巨大であることであろう。この国の「理系」なるものがいかなる存在かを考えるとき、この歴史的経緯は無視できない。

★2 特定の塩基配列に出会うと、そのDNAを切断する酵素のこと。1970年頃からさまざまなタイプのものが見つかっており、分子生物学においてDNAを望んだ場所で切るための「はさみ」として広く使われている。細菌が産生する場合が多いが、これは外敵のDNAを切断することで身を守るための、一種の免疫として機能しているらしい。

★3 大腸菌(Escherichia coli)のR株から見つかった、第一番の制限酵素であったことから、その名が付けられた。

★4 DNAなどの塩基配列に変化を起こさせる性質のこと。特定の化学物質や放射線などにこの性質がある。食品からの摂取が問題になっているニトロソアミン、大気汚染物質の一つであるベンツピレン、スポーツをすると体内に多く生じる活性酸素、海水浴をすると大量に被曝する紫外線など、さまざまなタイプがある。いずれも、遺伝毒性や発がん性を発揮する。つまり身体に悪い。よって実験の現場では、変異原性を持つ薬剤の使用には注意を要する。

★5 四半世紀以上の長きにわたる筆者の親友である。共通一次がほぼ満点だったらしい。あだ名は「けりけり」。化学繊維の服が苦手である。若い頃は「馬鹿は犯罪」といった暴言を吐いて物議を醸していたが、今では子だくさんの愛すべきお父ちゃんである。

★6 太いネット回線が通じる以前のことであり、大容量のデータをやりとりするのは簡単ではなかった(光磁気ディスク[MO]が比較的パワフルだった)。立体構造データは、今考えればたいしたデータ量でもなかったが、わざわざビデオカセット(これも事実上死滅した)のような、大変にごっつい形の「磁気テープ」にデータを保存し、空輸で入手したのである。

★7 湿っていること。転じて、化学・生物・物理など、特に「水仕事」が多い実験や研究を、実際に自分の手を動かして実施することを意味する形容詞。

★8 乾いていること。転じて、専ら計算機による数値的な処理によって現象をシミュレーションし、研究を進めるスタイルを意味する形容詞。「ウェット」の逆。

★9 当時はまだ”Bioinformatics”という言葉は普及していなかったが、やろうとしていたのはそういうこと。ヒトゲノムもまだ全部読めてなかった時代なのでね。

★10 2010年秋の金曜夜10時枠にTBS系列で放映されたドラマ。正式名は、『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』である。当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(加瀬亮)の凸凹コンビの刑事が、「スペック・ホルダー」と呼ばれるさまざまなタイプの超能力者に関する、謎や陰謀を追うというストーリー。監督の堤幸彦は、変人の女がマッチョな男と共に超常的な謎を解くというプロットが好きなようで、『ケイゾク』(中谷美紀+渡部篤郎)や『TRICK』(仲間由紀恵+阿部寛)も同じ構造を具備している。