怪獣たちのコモンズ
Kaiju as the Commons

高橋聡太 Sota Takahashi

2015年2月、ケンタッキー州ルイヴィルは記録的な寒波に襲われていた。平年通りであればマイナス5度程度のはずのこの地域の最低気温が、連日マイナス20度まで下がり、たまに晴れ間がのぞいても、冷えきった風景を写真におさめようと手袋をはずした途端に指先が凍てつくほどである。街全体を蹂躙して生気をすっかり奪ってしまう大吹雪の威圧に、アメリカ中東部を通り過ぎてゆく巨大な怪獣の姿をつい重ねてしまった。というのも、ルイヴィルで開催された学会で、ぼくはロック音楽と怪獣文化に関した発表をする予定だったからである。

発表の内容はさておき、1980年代後半に生まれた自分にとっても、怪獣は幼いころから身近なものだった。初代『ゴジラ』の公開は1954年、TVシリーズの『ウルトラマン』の放送開始が1966年と、その源流に接しているのは自分の親世代である。だが、自分が幼年期を過ごした1990年前後はちょうどVHSビデオが最盛の時代で、過去の特撮作品も簡単にレンタルできた。よく泣く子だった自分をこわがらせるためか、それともあやすためか、とにかくウルトラマン関連のビデオは自宅でたくさん見せられた。また、同時期に映画館では「平成ゴジラ」と呼ばれるリバイバル・シリーズが年に一度封切られており、毎年必ず劇場に連れて行くようせがんで、視覚的にも聴覚的にも家のテレビで見るのとは比べものにならない怪獣たちの量塊感に興奮していた。

興味深いことに、こうした怪獣文化の追体験は世界中で起こっているようだ。今回の滞在中にルイヴィルでおもしろそうな音楽イヴェントはないものかと事前に近隣の会場をリストアップしたところ、学会が開かれた大学からそう遠くない住宅街に、そのものずばり「Kaiju」と名付けられたバーがあった。2013年に公開されたハリウッド映画『パシフィック・リム』に登場する巨大なモンスターたちが劇中でそのまま「Kaiju」と呼ばれていたように、この言葉は日本のものに限らずレトロなクリーチャー全般を指す用語として海外でも親しまれている。とはいえ、その名を冠したバーを日本から遠く離れたケンタッキー州の地方都市に見つけたときには、思わずのけぞってしまった。

これは足を運ばぬわけにはいくまいと、発表を終えた翌日にまだ雪の残った道をタクシーでむかったところ、店頭にどっしり居座ったこの店オリジナルの真っ赤な一つ目の怪獣が出迎えてくれた。近隣には大学生たちの通うレコード屋があるヒップなエリアらしく、週末の「Kaiju」は寒波をものともしない多くの若者で賑わっていた。カウンター奥の棚にはお酒のボトルと一緒に古今東西の怪獣やロボットたちが並び、ダンスフロアに面した壁面にもオリジナルの怪獣画が大きく描かれている。ローカルな客の多くは、店内のいたるところにあしらわれた怪獣たちに囲まれながら、地元のクラフト・ビールや「Monster Juice」と名付けられた日本酒を片手に談笑し、ビリヤードや、地元のアマチュアバンドによる演奏をゆるく楽しんでいた。ここでは意外にも行き過ぎたオリエンタリズムや日本的オタク性の強調は感じられず、むしろアメリカ中東部の人々が、自分と同じように幼いころから再放送やビデオなどを介して怪獣文化に親しみ、ごく自然にその郷愁にひたっているように見えた。

怪獣モノをはじめとする特撮文化は、えてして「日本独自」のものとしていわゆるクール・ジャパンの文脈に回収されがちだ。しかし、海外産のSF文化が日本のそれに与えた影響は計り知れないし、何よりも太平洋の深部・南海の孤島・火山の底・宇宙空間など、各国単位ではまるで歯のたたぬところからやってくる怪獣たちの出自を、国民国家的な枠組みで画定するのは野暮の極みだろう。現に、大寒波のような天変地異や核兵器の恐怖を体現した怪獣たちが喚起する想像力は、さまざまな世代と地域の人々がローカルなメディアによって血肉化している。やや大げさに言えば、それは愛国心ならぬ愛星心のタマゴを地球規模で育むための大切な母胎となるのかもしれない。