科学家のテラス 4
Reflections from an Amateur Scientist 4

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

カミサト君、発想はおもしろいのだけど・・・
連載というものは時として、当初の方向性とはズレていくことがある。本連載も、実際に書き始めてみると、工学部時代のエピソードが予想外に次々と思い出されてきて、私自身困っている。読者の皆様も少々飽きてきたかもしれないが、もうしばらく続けさせていただければと思う。

ウェット・ラボとドライ・ラボ★1の両方に所属していた私は、両方の「文化」の違いにとまどいながらも、徐々に、ドライ、つまりコンピュータ・シミュレーションの世界に「適性」があることに気づき始めた。いや、待てよ、この言い方は「虚偽の記憶★2」だ。現実は……そう、とにかく私は実験が下手で、ウェット・ラボに適性が全くなかったのである!

考えてみれば、子供の頃から美術や工作の授業では、「カミサト君は、発想はおもしろいのだけど、作るとなると、ちょっと雑だね……もう少し丁寧にやってみようか!」などと言われ続けてきた。あれこれとイマジネーションを膨らませ、自分では「すごいブループリント★3」を描いたつもりだったのに、完成作品はあまりにもかけ離れていたのである。私自身、いつも、とてもがっかりしたものだ。

というわけで私は、ウェット・ラボでは修士課程のMさんという人の弟子★4となり、手取り足取り教えを請うていたのだが、とにかく使いものにならないのである。自分では、言われた通りやっているつもりなのだが、何か重要なコツが掴めていないらしく、結果はいつも散々なものだった。

例えば、バイオの世界には「電気泳動」という基本的な手続きがある。小さな弁当箱のようなものに、「アガロース・ゲル」というものを流し込む。これは要するに「寒天★5」であるから、ほどなく固まる。そこに櫛のような道具で小さな穴を複数開け、DNAなどを含む調べたい試料をわずかに入れていく。ちょうど学校のプールを思い出してもらうのが分かりやすいだろう。ゲルの両端に電圧をかけると、ちょうどプールで競争をするように、試料の中の物質が「泳ぎ」始めるのだ。すると、人間の競泳も速度に差があるように、抵抗の大きな分子は遅く、身軽な分子は速く泳ぐ。そうやってしばらく泳がせると、物質の種類によってかなり差がつき、いくつかのグループに分かれるのである。そうやって、必要な分子を分離したり、特定の物質が存在するかどうかを確認したりする。

だが私がこの実験をやると、なぜか、全くうまくいかなかった。最終的に紫外線を当てて写真に撮る★6のだが、正しく実験ができていれば浮かび上がってくるはずの「バンド」が、ぼやーっと広がって互いに混ざり合い、何を意味しているのかさっぱり分からないのである。

まあ、ほかにも色々と、私は実験では失敗ばかりしていた。だからMさんにはいつも迷惑をかけていたと思う。本当に申し訳なかったと思う。

そうしているうちに、ある日、教授室の前を通りかかった時、Mさんが教授室で何かを相談しているのがちらっと見え、一瞬、私の名前が聞こえた気がした。なんだろう……その翌日、私は教授室に呼ばれた。(つづく)

Endnote:
1 「ウェット」は湿っていること。転じて、化学・生物・物理など、特に「水仕事」が多い実験や研究を、実際に自分の手を動かして実施することを意味する。「ドライ」は乾いていること。転じて、専ら計算機による数値的な処理によって現象をシミュレーションし、研究を進めるスタイルを意味する。

★2 精神分析の世界では、「トラウマ」などを抱える患者に対して、催眠などによって幼少期の記憶を思い出させることにより治療するという方法がある。ところが、その際に「思い出された記憶」が、実は現実には起こっていない、全くの「虚偽の記憶(False Memory)」だったという事件が、アメリカを中心に多発した。幼少期に家族に虐待されたと裁判に訴えるなど、大きな混乱を招いたケースも少なくない。

★3 最近はすっかり使われなくなったが、以前の建築や工学などの図面は、鉄の化合物を用いる方式で複写されることが普通だった。これは青の濃淡で仕上がるため、“blueprint”あるいは“cyanotype”と呼ばれた。これから転じて、将来の計画を一般に「青写真(ブループリント)」などと言うようになった。

★4 実験系の研究室では、学生が配属されると、徒弟制度のように先輩について実験の手続きのイロハを学ぶのが普通であり、しばしば共同で研究を行い、論文も連名で出すことが多い。したがって、どんな先輩・後輩とチームを組むかが、研究成果に直結する。それは能力の問題もあるが、一般的な意味での「相性」も大きいと思う。この種の人間関係が良好であるかは、研究生活において非常に重要である。

★5 オゴノリやテングサなどの紅藻類の粘液を集め、固めたもの。江戸時代、「インゲン豆」で有名な黄檗集(おうばくしゅう)の隠元禅師が命名したといわれる。主成分はガラクトースなどが鎖状に結びついた多糖類「アガロース」であるが、生命科学との関わりは比較的古く、19世紀、細菌学の父ロベルト・コッホが、「寒天培地」によって細菌を培養する方法を見つけた時にまで遡る。これにより世界的に需要が増えた寒天は、日本からの重要な輸出品になったが、戦争中は「戦略物資」として、「敵国」に輸出が制限される、などということも起きているから驚きだ。

★6 DNAに紫外線を当てても光るわけではない。可視化するには「エチジウム・ブロマイド」という物質を添加する必要がある。これは、塩基対と塩基対の間にすっぽり入り込むことで、DNAとよく結びつく。また紫外線を受けると蛍光する性質があるので、「バンド」の写真を撮る上で便利である。ただし、DNAの間に入り込むことで、DNAの転写を邪魔するので、結果的に強い変異源性を持つ。したがって、素手でさわったりすることは避けなければならない。「科学家のテラス2」★4を参照のこと。