シンガプーラのイメージ
The Image of Singapura

ペク・ソンス Seongsoo Baeg

シンガポールに来て4カ月が過ぎ、この都市空間への感覚が鮮明になってきた。一つ、また一つ、ある場所に意味ができ、その間が路線バスでつながった。バスの番号ごとに別の街がみえてくる。バスのウィンドウは私がシンガポールをみる大きいスクリーンなのだ。

すべての空気が眩しい週末の正午過ぎには、キンキンに冷えたバスに乗って、国立博物館「シンガプーラ:700年」展を見に行く。シンガプーラは古くからこの地域を指す言葉で「ライオン・シティ」の意味である。ライオンはもともと仏教修業の隠喩として使われるが、14~15世紀のマジャパヒト王国において「王室」のシンボルとして使われ、現在はこの国のシンボルの一部になっている。本1冊読めばわかる歴史だが、昨秋~今夏開催のこの展覧会に私は何度も通っている。文字で読むシンガポールの50年史と私が日常に接する現実の間のつるんとした空白を埋めたくて、ここに来るのである。

「シンガプーラ:700年」展のビジュアル・イメージは、私が現在にみる川や街や人々に時間的な深みを持って、重なる。白黒の写真の中の彼らはお茶や香辛料の荷を担いで船を行き来し、優雅なティータイムを楽しむコロニアル家族の従順な奉公人であった。建国の混乱を経て、人々は雨で水浸しになる家屋から近代的な公団住宅に移り、700年のほとんどを忘れられていたシンガプーラはアジア一豊かなシンガポールになったのである。

歴史が構成され、解釈されるものであるとするならば、私のシンガポールはこの展示の700年を準拠にしている。気軽さと少しの無責任さを意識しながら、私はこのビジュアル・イメージが伝える物語を現実で確認し、頭で反論しながら、シンガポールに接している。

そんななか、私はシンガポールの最新映画『1965』を観た。1965年はシンガポールが建国した年で、映画は建国までの混乱と決断を描いている。主要な人物たちが全部登場した時点で、映画の結末は想像できたし、よくできたプロパガンダ映画だと思ったが、一つのメッセージが私の心に刺さった。李光耀(リー・クアンユー)前首相が「我々はシンガポールで多民族国家を手に入れることになる」と宣言したとき、初めてシンガポールが多民族国家である本当の意味が理解できた。それは人間の意志であり、実践だったのである。それは建国理念であったし、現在進行形でもある。

この精神性はシンガポール政府のPR動画にも一貫して現れる。YouTubeを観るたびに差し込まれるこの政府動画にうんざりしながらも、私はこの国が目ざす先をすこしずつ理解できるようになってきた。友人は私がシンガポール政府のイメージ戦略に嵌まったとからかう。それは本当のことだろう。しかしわかりやすいプロパガンダは猛毒にはならない。私たちの日々のドラマティックなメディア経験は、毒を以て毒を制す瞬発力さえもたらしてくれるからである。