科学家のテラス 12
Reflections from an Amateur Scientist 12

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼進路に悩むカミサト君、銀座ナインへ
前回は、当方の記憶違いで言及するのを忘れていた重要なエピソード、「研究室の未来に暗雲が立ちこめていることを先輩にこっそり聞かされるの巻」を、時間を遡って挿入させていただいた。

すでに本連載で述べてきたとおり、時系列的にはその後に、ロシアからやってきた「A氏」と私の交流が盛んになっていく。研究室に残っても今の研究が続けられる可能性は低いらしいということを、私は薄々知りながらも、研究自体は面白くなっていったのだ。そうこうしているうちに、将来どうするのか、考えなければいけない時期がやってきた(正確には、他にも色々なことがあったのだが、話を進めるために思い切って割愛する)。

そんな時、一足先に就職した友人「X」から、使い始めたばかりの電子メール★1が来た。飯でもどうか、と。彼はその春から中央官庁のキャリア組★2になったばかりだった。

私は彼の指定した場所に赴いた。たしか「銀座ナイン★3」の中の店だったと思う。彼はもう店の中に居て、人懐っこい笑顔で手招きした。サラリーマンやOLでごったがえすその店に、学生の自分が入っていくのはちょっと気が引けたが、ともかく、久しぶりに「悪友」に会うのは心が弾む。酒が弱い私も、まずは乾杯。彼は非常におしゃべりな男で、しかも、始まったばかりの「宮仕え」にとてもストレスを感じていたらしく、ビールをごくんと飲み干すと、立て板に水のごとくしゃべり出した。

「役所ってところはよぉ、とにかくつまんねぇことに時間ばっかかけんだよ。もう、かったりぃからよぉ・・・・・・」
延々、散々、職場への不満を言う。あまりにも長いので、「そんな職場なら辞めればいいじゃん」と私が言うと、今度は真逆のことを言い始める。「いや、でもよぉ、やっぱ冷静に考えると、やりがいのある仕事かもな。たとえばよぉ・・・・・・」

彼のしゃべり方は、実は神奈川県の方言である。元SMAP★4の中居君のしゃべり方とよく似ている、と言えばわかりやすいかもしれない。

一時間くらいが経っただろうか、彼の独演会を聞かされることに、そろそろ私の身体も限界がきていた。さすがに彼もしゃべり疲れたらしく、少し間があく瞬間があった。そこに私は間髪を入れずに、自分の話を滑り込ませた。「いやさ、俺も将来、どうしようかなと思って。今は研究が面白いんだけど、どうもウチの研究室では同じテーマを続けられないらしいんだよね」
すると彼は、急に驚くべきことを言い出した。

「だったらよぉ、おめぇも役人になれよ。おめぇなら絶対、いけるべ」 (つづく)

Endnote:
1 電子的なファイルにより、遠隔地の人に情報を伝える仕組みのこと。初期の大型コンピュータで類似の機能を実装する場合もあったが、1976年に開発された、直接つながっていないUNIXシステム間でファイルのやりとりを可能にするUUCP(Unix to Unix CoPy)プロトコルこそが、現在使われているメールの直接の先祖と言える。これが学術ネットワークであるUSENETを経て、”the Internet”上でのメールへと展開していった。現在使われているさまざまなネットワーク上のサービスの中で、最も早くから運用されてきたものの一つがメール・サービスである。またインターネットが一般利用される以前から、アメリカのCompu-Serve、日本ではPC-VANやNIFTY-Serveなどの事業者が「パソコン通信」の事業を行っており、そのような閉鎖型ネットワークの中で、一般の人々も電子メールを使っていた。

★2 一般に、国家公務員採用総合職試験(かつての国家公務員上級職採用甲種試験、ないし国家公務員採用Ⅰ種試験)に合格した上で、中央官庁に入庁した者を指す言葉。特に、「法律」「経済」「行政」という「文系」の試験区分で合格した上で、幹部候補として入庁した者がそう呼ばれることが多い。広く知られているように、他の職員と比べて昇進の速度が速く、広範囲の部署を異動し、また実際に各省庁の幹部の多くを占めている。このキャリア制度は、明治政府によって始められた「高等文官試験」にルーツがあり、当初は出身派閥や身分と関係なく、広く優秀な人材を集めるための仕組みであったが、人事の硬直化や、天下りの弊害などを招く原因である、との批判も以前から根強い。

★3 東京都中央区銀座8丁目に位置し、飲食・衣料・宝飾など数十店舗からなるショッピングセンター。首都高速都心環状線の汐留/京橋の間をバイパスする形でつながっている、「東京高速道路(会社線)」の高架下にある。ちょうど銀座と新橋の境目に当たるが、実際には存在しない「銀座9丁目」という意味で「ナイン」と名付けられた。ちなみにこの「東京高速道路」は、その非常にダイレクトな名称や、銀座を囲む結界のごとき構造性、また首都高と分かちがたく結合しながらも、飽くまで自主・独立を保つ強い意志など、その神秘的なまでの存在感に対して一部に熱狂的なファンが存在する(著者調べ)一方で、「別に首都高と一緒でいいんじゃね?」「そもそもなんのためにあるのか」といった心ない陰口をたたく者もいるという。しかし実は、1959年にすでに営業を開始しており、なんと首都高速よりも歴史は古い。また、この「銀座ナイン」などのテナント料で道路を維持管理しており、この区間の道路通行料は無料であることから、「PFI(Private Finance Initiative)」の先駆けと考えることも可能であろう。首都高都心環状線を利用する機会があったならば、是非、「会社線」を通ることをお薦めしたい。

★4 1988年から2016年まで存在した、男性アイドルグループ。芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」の社長、ジャニー喜多川(1931-)が、”Sports Music Assemble People”の頭文字をつないで命名。「下手なホラーよりも恐ろしい」などと評された生放送の「謝罪会見」を経た後、解散した。