科学家のテラス 16
Reflections from an Amateur Scientist 16

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼カミサトくん、官庁訪問の対策を練る
「次は官庁訪問だ!」

1990年代初頭のこと。私の「公務員試験受験プロジェクト」に、友人Xはとてつもなく前のめりだった。なんで他人の就職活動にこんなに関心があるんだろう、と不思議に思ったものだ。とはいえ、まあ国家の中枢「カスミガセキ」は謎のゾーンだし、なんとなく興味はあった。だから、とりあえずはこの流れに任せてみるか、と私は考えたのだ。実に安直★1だった。

まずは各省庁の資料を集めるところから始めるか、などと思っていると、ほどなく向こうから勝手に資料が送られてきた★2。繰り返しになるが、私は元々、役所勤めを目指していたわけではなく、試験を受けはしたものの、その先についてはほとんど考えていなかった。つくづく、実に安直だ。

しかし人間とは不思議なもので、そうやって色々な役所の綺麗なパンフレットを眺めていると、「世の中には色々な仕事があるもんだなあ」「自分だったらどこの役所が合うかな」などと考え始めていた。

「俺、本気になってる?」そんな自分に、一番自分が驚いた。
ともかくXは「作戦会議」をすると言っているから、事前に予習しておかないと格好がつかない。私は送られてきた資料の気になるところにいくつか付箋を貼り、再び都内某所で彼と待ち合わせた。

その日、彼は、やや不機嫌そうな顔でやってきた。
「でよぉ、オマエさ、少しは官庁訪問のやり方、知ってんのか?」と、のたまふ。
「いや、全く何も!」私は答えた。
「なんだよぉ、ちっとは準備しとけよぉ。まあいいや、俺が全部教えてやるから」

なんだよは、こっちの台詞、おまえが強く強く勧めたからこういうことになったという面もあるわけで……などと無責任な言葉が口から出そうになったが、私はそれを呑み込んだ。

「で、どうすんの?」
「まあ、きちっとスーツ着てよ、就職活動すんだよ。普通に役所に行って、受付の人に『官庁訪問に来ましたぁ』って言えばどうするか教えてくれるべ」
「何か持っていくものとか、ないの?」
「特にいらねぇな。最初に人事の担当者がプロセスを簡単に説明してくれる。あとは待合室で待機していると順番に呼ばれて、『○○局△△課の××係長に会いに行ってください』とか言われるぞ。で、その人と話をする。普通に面接だ。これを繰り返していく」

「それ、何人くらい会うの?」
「役所によるんじゃねぇか。まあ最初は若い人から、係長とか、そういう人と話をする。だんだんと相手の役職が上がっていく。途中で、『次は何日の何時に来て欲しい』とか言われたら、その日は解散」
「ふーん。どうなったら合格なの?」
「一種の双六★3みたいなものだからよぉ、途中で次回の約束の話がなくなったら、ゲームオーバーだべ。まあ、後で呼ばれることもあるんだけど、だいたいはないかな。最後には、『一緒に仕事をしていきたいと私たちは考えてます』とか言われるんじゃねぇか。普通の就職活動★4の内々定と同じ。口約束だべ」
「となると、その面接が重要だね。」
「そりゃそーよ。ただその前にもっと重要なのは」
「重要なのは?」 (つづく)

Endnote:
1 元々の意味は、「値段が安いこと」。転じて、十分に考えず、また手間をかけない様子を意味する。ただし、「何が安直か」は、時代の雰囲気に左右されるようにも思う。そもそも当時は、物事をできるだけ簡単に、手間をかけず、しかし結果を出すことが最も優れたことだという価値観が横溢していた。それは確かに「バブル」という時代の空気だったとは思う。日本社会が「勤勉」という価値観を信じなくなったのは、おそらくあの頃からだろう。

★2 記憶の限り、ずいぶん沢山の資料が送られてきたように思う。最近はどうなっているのだろう。また、私の受験した試験区分は「化学」だったので、科学や技術に関係のある役所から来るのは理解できたが、一見、関係のない「K庁」や「O省」からも資料が来たのには驚いた。

★3 「双六」には、二人で対戦するボードゲームの「盤双六」と、紙に描かれた経路を順に進んでいく「絵双六」があった。前者は古代バビロニアの時代にすでに存在したとされ、さまざまな派生ゲームに枝分かれして世界中に広がった。現在では「バックギャモン」として知られている。一方、サイコロの出た目の数だけステップを進めていき、早くゴールに到達した者を勝者とする「絵双六」が、現在の日本ではおおむね「すごろく」として認知されている。日本ではなぜか同じ「すごろく」と呼ばれていた二つのゲームは、海外ではそれぞれ別の名が与えられ、区別されてきた。日本でも有名な「人生ゲーム(The Game of Life)」は、19世紀半ばに米国で開発された「絵双六」の一種である。

★4 現在では「シュウカツ」と呼び習わされている就職活動だが、1990年代の初頭は、まだこの省略形は使われていなかった。当時は、PCや携帯電話は普及していなかったし、インターネットも全く一般的ではなかった。そのため就職活動は「紙ベース」+「電話」で進めるのが普通であり、アプライできる企業の数は自ずと限られた。一般に、学生一人あたりの就職活動に費やす時間は、労働市況の影響を受けるだろう。とりわけ「就職氷河期」と言われた時期は、エントリーする学生も、対応する企業も互いに「無駄骨・無駄足」が多く、共に大いに消耗した。結局、「シュウカツ支援テクノロジー」の発達こそが、学生の「就活の時間」の膨張を生んだ主因ではないかという気がしてくるが、真相はいかに。